異論・反論 イスラームを巡る10の書簡

インタビュー=飯山陽/中田考
『イスラームの論理と倫理』(晶文社)刊行を機に

編集者・安藤聡コメント

◆本書の企画意図◆
~折り合いがつくのか、つかないものなのか~


 私は以前、『異教の隣人』(釈徹宗、細川貂々、毎日新聞「異教の隣人」取材班著)という本の編集を担当し、その仕事を通して宗教的多様性や共生する社会に対する重要性を認識していたのですが、飯山さんの『イスラム教の論理』(新潮社)を読んで、世の中で語られている多様性を許容する社会や、宗教を越えた形での交流というのは、言われているほど簡単なことではない、ということを感じました。一方、中田さんとは内田樹先生のご縁から『俺の妹がカリフなわけがない!』などを編集した関係でお付き合いがあって、ご著書なども読ませていただいたのですが、中田さんの説くイスラーム世界と飯山さんが語るイスラーム世界の解釈に、大きな隔たりがあるようにも感じました。この両者の見解はどこで折り合いがつくのか、あるいはつかないものなのか、自分自身も考えてみたい思いが湧いてきたので、中田さんと飯山さんに往復書簡という形で依頼をした、というのが今回の企画のはじまりです。

 本書に収録されているお二人の論説の構図を簡単に比較すると、飯山さんの方は西洋的な人権・自由・平等・民主主義という普遍的と言われている価値を守るために、イスラームという他者とどう付き合うかということを、シリアスに、より現実的に考えていかなければいけない、という立場をとられている。言ってみれば自由主義社会、リベラル社会の一般的な見解がバックボーンにあるという印象です。今回論じていただいた情勢分析においてもその視点に立った文章をお書きいただきました。かたや中田さんは、領域国家を認めない、自由・平等も神の前での自由・平等であるなどよりラディカルな立場ですよね。もともと「カリフ制再興」、「イスラム革命」を説かれていて、取り上げていただいたトピックの現状分析にもその観点が盛り込まれています。両者の噛み合わなさ、違いの面白さというのは本書で存分に発揮されているのではないでしょうか。

 ただ、これまで知識人のなかで多く語られてきた日本における旧来のイスラーム像、西洋的な価値観を相対する文明としての、東洋的なイメージと結びついたある種ユートピア的なニュアンスで語られてきたイスラーム理解に対するカウンターという点ではお二人とも共通しています。そういった認識は共通しつつも、それに対してどう振る舞うべきか、という部分のベクトルが全く異なっているんですよね。それはお二人がムスリムであるか、非ムスリムであるかの違いにもかかわっているのだと思いますが。


◆編集者から見た注目ポイント◆
~新型コロナ/ソレイマニ司令官殺害/イスラームに対する問題意識~


 本書は、現在進行形で起きている事件とかトピックを題材に、お二人にそれぞれ分析を書いていただく時評的な連載が元になっていますが、連載時は最新の話題でも本にまとめた時点では収録されたトピックは古くなっています。しかし、一冊にまとめたことにより、トピックの表層的な部分だけではなくて、個々の事象を形成する背景であるとか、世界の枠組みについての考察を複合的に通しで見透せるというメリットがあります。むしろ連載時以上に整理がされて、明瞭に読める内容のものになったと思っています。

 扱ったトピックの中には「新型コロナ」の話題があるのですが、お二人とも情報量がすごいな、と。感染流行初期のイラン、トルコなど中東における対応の仕方といった情報はなかなか日本には入ってこなかったですよね。飯山さんが論じられているのですが、新型コロナに対して権威主義的に対策をとるのか、あるいはあくまで自由主義を基盤に対処するのか、という議論は、アメリカと中国のコロナに対する対照的なやりかたと同様、中東諸国でも同じようにありうる、という指摘は貴重な情報です。

 他の章でいえば、例えばイランのソレイマニ司令官殺害についてのトピックを扱った章がありますが、中田さんはこの章でアメリカの対イラン、対中東政策の失敗の歴史を論じられていて、かなり読み応えがあります。この精緻な分析を一般の方向けに書けるのは、さすがにイランウォッチャーを自認されているだけあります。加えて中田さんの論説でいえば第1章でお書きになったイスラームに対する問題意識は少し長いですけれどもうまく整理されていますし、多くの読書に共有いただける内容になっていると思います。(おわり)

晶文社の開封動画 『イスラームの論理と倫理』編