実利に基づく平和思想を唱えた人

『石橋湛山の経済政策思想』(日本評論社)刊行を機に

対談=原田泰×和田みき子

PART3




国外での評価

 原田 石橋湛山は全集も日記も、彼についての多くの研究書が出版されています。『自由思想』や『石橋湛山研究』で最新の研究論文が発表され、また「石橋湛山賞」などの顕彰事業も行われています。しかし、今回、我々が論じた石橋の思想の肝心な部分、昭和恐慌や世界恐慌に対する深い理解や実利に基づいた平和思想の理解が一般に広まらず、未だに戦後のインフレーショニストという誤解がなされていることはすでに述べた通りです。

 国際的な世界恐慌理解ということでいえばケインズやフリードマンが先駆的存在ですし、近年では元FRB議長のベン・バーナンキが世界恐慌研究の代表的な1人で、彼らの論文を読むと石橋の理解と近いことがわかります。ただ、それが石橋に対する直接的な評価につながっているかというと、実はそうでもない。実際に政策転換を行った高橋是清については英文の著作もいくつか刊行され、国際的な研究の中でたびたび引用されています。ただし、石橋が戦前に発刊したという英文雑誌Oriental Economistの研究はなされています。石橋湛山研究学会で中国やアメリカの研究者らによる石橋の大陸政策批判に対する評価やGHQによる不当な追放についての報告がなされました(川島睦保「世界は湛山をどう見ているか」(『自由思想』2018年3月号)。しかし、なにしろ、日本の経済学の通史であるテッサ・モーリス―鈴木の『日本の経済思想』(岩波モダンクラシックス)には大変残念ながら、また意外なことに石橋は登場しません。高橋亀吉は登場しますが、批判的な扱いです。有沢は登場しますが、傾斜生産には言及していません。経済思想ですから、政策には関心がない本なのかもしれません。石橋のことをより世界にアピールするためには我々研究者が英語で彼のことを紹介する必要があります。ただし、彼の業績のどこを強調すれば現在、世界にアピールできるのか、なかなか難しいです。

 和田 一方で大内兵衛は海外でも評価されていますよね。海外の方による日本研究のなかでも彼の名前や引用を見かけます。

 原田 教科書的な日本理解をするならば大内の『昭和財政史』を一次資料的に参照する必要がありますから。また中村隆英が書いた日本経済史の諸研究も海外で広く引用されているので、大内の名前はあがらざるをえないでしょう。海外の研究者が日本近代史を調べる上では、とりあえずこれらの文献からあたりはじめますけれども、それと大内や中村の経済学的な理解が正しいかどうかはまた別の議論です。中村先生の研究は、だいたい正しいと思いますが。

 和田 『高橋是清――日本のケインズその生涯と思想』(東洋経済新報社)という評伝を書いたリチャード・J.スメサーストは高橋を評価する一方で大内のことも比較的好印象の描写をしていることに驚きました。

 原田 スメサーストは大内のちょっとしたエッセイを引用して評価していましたね。こういった現状を踏まえて、我々はどのように石橋の業績を国際的に訴えていくべきか……。

 和田 高橋財政、つまり金解禁論争のきっかけを作ったのが石橋だった、という線で紹介をするのはどうでしょうか? 確かに昭和恐慌から回復させたのは高橋の手腕によるものですけれども、そこに学問的な裏付けを与えて支えたのが石橋湛山だった、とか。

 原田 でも金解禁論争は70年代に中村が書いた経済史の中でかなり触れられているから、研究者にとって目新しさはないんじゃないでしょうか?

 和田 私は、原田先生や昭和恐慌研究会の方々がお書きになった『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)を読むまでは金解禁論争については全く知りませんでした。私は、日本の歴史研究にも興味がなかったので特殊かもしれませんが、始めてみて気づいたのは、歴史研究者の大半は未だに大内兵衛止まりだということです。金解禁論争を含め、昭和恐慌に対する認識は刷新されていないと思います。

 原田 確かに。それに日本の歴史学者が経済学をきちんと学ぶようになったのもここ20、30年の話だから、目が行き届いていない部分もあったかもしれません。いずれにしても石橋を世界に向けてどうアピールしていけばよいかは検討が必要ですね。今、考えていることは、対外拡張的、植民地拡大的政策は、利益が少ないという石橋の認識をもっと広めたら良いのではないかということです。ロシアはイタリア並の国力でアメリカと張り合おうとしている。無駄なことで国民を犠牲にしている。中国は十分な国力があるでしょうが、国力は国民の安心や楽しみに使った方が良い。日本の戦前の拡張主義と現在の福祉国家とお気楽主義を比べれば現在の方がずっと楽しいのではないでしょうか。


石橋湛山の医療体制論

和田 ここから先は石橋湛山が経済だけでなく、当時の医療問題にも目を向けていたということを現在の新型コロナ問題に関連する話題としてお話していこうと思います。

 今からちょうど1年前、新型コロナ流行の第1波とのちに名付けられ、日本の医療体制のあり方があらためて問われることになった時期に、本書未収録ですが「コロナ感染症と石橋湛山の医療体制論」という論文をまとめることになりました。この論文中、日本の医療機関の病床数が先進国の中でも多いことに比べ感染者用のベッドと重症患者用のICUが少ないことに言及し、さらに人工呼吸器を使える医師やそれを管理する医療スタッフの不足、防護服・マスク・手袋などの医療物資は海外からの輸入が途絶えると自前で調達することが難しい、ということを論じました。日本にはそれなりの医療資源はあるにも関わらず、今回のような感染症が流行した際に必要な医療資源が不足していることを図らずも露呈することになったわけです。

 今回のコロナ禍で露見した日本の医療問題ですが、実は戦前日本の医療現場でも同様の問題を抱えていて、そのことに気がついた石橋湛山は医療論文を書いたのですね。彼は1918年、当時国内で猖獗を極めていたスペイン風邪に対してではなく、より厳格な隔離を必要とする結核や小児疾患に的を絞って論じました。その論文の中で石橋は次のようなことを述べています。

「いやしくも医療本来の目的を果たして、人々の健康増進を図ろうとするなら、まず、重篤度の高いもの、伝染力の強いものを駆逐しなければならない」

 さらに石橋はこの論文で国費もしくは公費による結核及び小児疾患の隔離施設を備えた専門病院の必要性を訴えています。もし石橋が今日のコロナ禍の状況を目の当たりにしたら、先に述べたような専門病床の少なさを問題視し、通常病床のICUへの切り替えとそこに備えるべき医療機械、感染症対策用の防護服等の物資の増産、さらに必要な予算措置などを求めたでしょう。これが「コロナ感染症と石橋湛山の医療体制論」の結論です。

 原田 つまり軽度な疾病を治療する医療施設を増やして福祉体制の体面を保つのではなく、重症患者をきちんと治療するための必要な医療リソースを増やす対策を行い、そのためには必要な費用を惜しまず投入するべきである、という提言です。軽度な疾病なら民間の病院で十分対処でき採算もとれますが、重篤な病気を治療するには民間ではコストがかかりすぎるのでそうはいかない。例えば結核の場合、病気治療と合わせて感染を拡大させないための隔離病床がたくさん必要になります。それに重症患者から治療費をたくさん取れるわけでもない。そうなると政府が主導的に対応するしかないわけです。当時のベッド数は当然今よりも少ないけれども、それなりの数は確保できていました。ところが肝心の結核患者用のベッド数が圧倒的に足りていなかったのは、今の状況と似ていますね。戦前から現在に至るまで日本の医療に対する考え方はあまり変わっていないのかな、とも思いました。だからもし石橋が今生きていれば、和田さんがおっしゃったような医療資源の振り分けをコロナになってからでなくもっと早い段階から提言をしていたでしょうね。

 和田 今の原田先生のお話は石橋が1930年代に書いた「医業の国営と疾病保険の必要」や「医業国営論」でも触れられていて、多少意訳になりますが、通常の病気は民間の医療機関が治療を行いそれでお金を儲ければいいけれども、感染症の場合はそうもいかない、国営の医療施設が必要である、と述べています。

 ちなみに現在の日本の医療制度は通常病床数を減らす方針をとっていて、国立、民間問わず空きベッドを作らず患者収容の効率化によって収益をあげることを目指しています。しかし、空きベッドを作らない治療で対応できないのが今回のような重篤な感染症ですよね。この対策を行うためには収益を求めない公的な施設が必要になります。石橋も当時の医療体制を補強するために、国が運営する公営施設の必要性を説いたのではないか、と理解しました。

 原田 現在の感染者専用ベッドの不足理由に、感染症の患者を受け入れた病院でひとたび感染が拡大してしまうと、その他一切の医療ができなくなる恐れがあり、ひいては赤字にもなるから受け入れたくない、という病院側の言い分があります。それは民間のみならず、独立採算が求められている大学病院や国公立病院でも同様の理由で感染者の受け入れを断っています。だから今回のコロナのような感染症対応のために政府が通常の診療報酬体系に上乗せして、患者受け入れの特別報酬を出す制度を作らなければ病院側は受け入れられない。ここ最近になって特別報酬をかなり出すようになりましたが、ここに至るまでの対応が遅れたのは事実ですし、出す金額も合理的な数字なのかどうか、ここは今後も検証が必要です。


行政力の弱い日本政府

 原田 今回の政府のコロナ対応というのは今話した医療体制の不備もありますし、他にもいろいろチグハグな点が散見されました。たとえばPCR検査を巡る議論1つとっても「シーヤ派」「スンナ派」に分かれた議論がネット上で一時流行しました(笑)。また感染初期はクラスター対策による濃厚接触者の炙り出しを進めていけば、PCR検査の必要はないと言っていましが、途中から積極的にPCR検査を促すような話にもなって。なぜそういうふうに見解が変わったか説明もなされず、時間経過に伴う場当たり的なダラダラとした対策になってしまいました。それは政治家だけの責任でもなく、専門家の側がその都度説明をしてこなかったことにも問題があります。

 それから政府の政策で一番チグハグなアイディアだったのがGo To キャンペーンですね。外出自粛や外での飲食を控えることを政府や自治体が要請したにも関わらず、旅行や外食をすれば政府が金額の一部を補助してくれる政策ですから。それまで政府が国民に自粛を促していたのにもう一方で旅行を奨励したために、当然国民の側はもう自粛をしなくてもいいんだな、と思いますよ。旅行に行くこと自体が感染拡大と直接結びつかないという見解もあって、それはそうだと思います。ただ旅行には旅先での飲食や遊興が付き物です。ビジネス出張、学会への出張だってそういう要素は必ず付いてきます。いずれにしても飲食が伴うから飛沫による感染リスクが高まるのは当たり前です。なぜこんなチグハグな政策を推し進めたのか、それに対しておかしいと声を上げる専門家が少ないのか。ここも非常に疑問です。

 ここまでコロナ禍が長引いたために、外食産業や旅行産業が危機的な状態になってしまっている。これまで起きた不況で最初に大きな打撃を受けてきたのは製造業です。そして製造業が弱ったあとその他産業に影響が波及して全体が縮小する、というのが今までの流れでしたが、今回の場合は、外食や旅行のようなサービス産業が集中的に大ダメージを受けてしまい、それ以外の産業はそこまで大きな影響を受けていない。これまでの不況対策は製造業及び大企業対応を念頭においた制度設計になっているために、今回のようなケースに対して自営業・個人事業主までを含めていかに手を施せばいいかよくわかっていなかった。それゆえ試行錯誤で様々な政策を逐次投入しているけれども効果はいかがなものか、というのが現状です。

 私は常々日本政府は行政力の弱い政府だと言ってきましたが、みんなあまり信じてくれませんでした(笑)。ところが今回のことで日本政府の行政力のなさを痛感したと思うんです。例えばコロナによって困窮した人を対象にお金を配ろうとしても、誰が本当に困っているか迅速に把握できないから、とりあえずスピード重視で全員に配る対策を打ちました。でもそれでさえ手配にかなりの時間を要しました。次の段階でようやく困った人を絞り込んだ給付の制度が出来上がりましたが、今度は不正受給が頻出するはめになりました。知り合いの会計士曰くこんな制度だったらいくらでも不正が出るそうですよ。でもそれ以外にやりようもなかったのだろうとも思っていて、だからこそ日本の行政力の弱さを改めて認識する必要があるのです。

 翻って、もし石橋が今回のコロナ禍においてどのような経済政策を考えるか、正直そこまではまだよくわかりません。ただ、前述の徳田球一による石橋批判にも象徴されますが、傾斜生産という当時の国力を一極集中して取り組んだ政策があまりうまくいかなかったことがわかっているし、石橋が指摘した戦前の医療体制のあり方も満足できるものではなかったわけですから、石橋も行政力の弱さに悩まされていたかもしれません。だからここを立て直すことも今後の課題だといえるでしょう。(おわり)


★はらだ・ゆたか=名古屋商科大学ビジネススクール教授。経済企画庁国民生活調査課長、調査局海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、株式会社大和総研専務理事チーフエコノミスト、早稲田大学政治経済学術院教授、日本銀行政策委員会審議委員などを経る。著書に『日本の失われた十年』『日本国の原則』『震災復興』『ベーシックインカム』など。1950年生まれ。

★わだ・みきこ=近代史研究家、明治学院大学社会学部付属研究所研究員。明治学院大学社会博士。「1920年代の都市における巡回産婆事業」にて第4回河上肇賞奨励賞受賞。主著論文に『猪間驥一評伝』「アジア井戸端会議」「猪間驥一東京帝国大学経済学部追放事件の検証」など。1951年生まれ。