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文学・歴史・美術横断、連歌の名品『集百句之連歌』他、西鶴の自註絵巻・自画賛等

西鶴独吟百韻自註絵巻の絵をめぐって(浅野秀剛)



西鶴独吟百韻自註絵巻の絵をめぐって 浅野秀剛

『西鶴独吟百韻自註絵巻』(図4)が元禄期の西鶴を語るうえで欠くべからざる作品であることに異論をはさむ人はいないであろうが、その絵が西鶴の自筆であるかどうかについては研究者によって意見が分かれる。この小稿はそれについての私の見解を述べることであるが、その前提として検討せざるを得ないのが、『好色一代男』などの諸作品の挿絵が西鶴の自筆版下であるかどうかの問題である。

 西鶴画の基準となるのは、「画賛十二ケ月」をはじめとする自筆画賛物であり、次いで、西鶴自筆と序にある『俳諧百人一句難波色紙』となる。後者は版本である点が重要である。なぜなら、『好色一代男』も版本であり、自筆の下絵が現存していない以上、摺られたもので比べることになるからである。自筆画賛物を見るかぎり、西鶴は探幽風の絵を学んでかなりの力量を持ち、淡墨の使い方などに独得の味わいがあると思う。しかし、一部の人物の描写(狩野風人物もあるので全部ではない)は破格で、身体の形態、くねりが奇矯・奔放といいたいほど個性的であり、それが西鶴画の最大の魅力となっている。素人臭が抜けない点などは写楽に似ているといえるかもしれない。

 小説『好色一代男』の挿絵と同一の絵師の版下と比定される作品は、小説『諸艶大鑑(好色二代男)』、『西鶴諸国ばなし』、俳書『山海集』、『高名集』、『三ケ津』(元本は現存せず)、『俳諧女歌仙』、役者評判記『難波の㒵は伊勢の白粉』、他人の編著である『近代艶隠者』、『本朝列仙伝』、『西行撰集抄』となるであろうか。これらの絵を『俳諧百人一句難波色紙』と比較すると、確かに同一の絵師の版下と認められる。西鶴自筆画賛物と比べてもほとんど違和感がないので、私もこれらのすべてを西鶴画とすることに賛同したい。また、版下制作に当たり、西鶴の下絵を他の絵師が清書したかということについては、西鶴独得の筆致が、清書によって穏やかになった形跡は感じられないので、自筆版下と認めていいと思う。『好色一代男』の絵師による作品群が、すべて西鶴自筆か西鶴の知己の著作であるという点も、西鶴画であることを補強するといえるであろう。西鶴の絵の師が『好色一代男』などの版下を描いたという小池藤五郎説や、西鶴の下絵を清書した絵師がいたとする信多純一説は、現時点では同意できない。

 そのことを踏まえて『西鶴独吟百韻自註絵巻』を検討した場合、西鶴的要素は、草花の描写、陰影の付け方、膝を突き出し腰を落として歩く姿、第十図の礫を投げる人物などであろうか。反面、屹立する山、岩、画中の障壁画、人物のバランス、顔(かなり異なる)、時に金泥を用いた穏当な衣紋線の描写などは西鶴画とは認めがたい要素と思われる。柳や松の描写も巧みで、陰影もより細緻である。それらを考慮すると、西鶴の丁寧な下絵を基に、綿密な打ち合わせをして絵巻の絵が完成したと想定される。西鶴的要素が残るのは、下絵の影響としていい。清書したのは狩野派の絵師と思われ、その点では西鶴画と土壌を一にするということになる。(あさの・しゅうごう=大和文華館館長・浮世絵研究)