
真の“リベラル”経済学のススメ
対談=岩田規久男×柿埜真吾
フリードマンの格差是正プラン/誰が既得権益を守っているのか
フリードマンの格差是正プラン
柿埜 もうひとつ、フリードマンのアイディアでいえば、岩田先生は本書内で教育バウチャー(利用券)の議論を1~3章の格差問題における是正策のひとつとして取り上げています。
岩田 教育バウチャーとは初等・中等教育年齢層の子どもに、政府が授業料をまかなうための一定額の教育利用券を配布する制度ですね。これを公立校でも私立校でも使えるようにする。
柿埜 教育バウチャー制度を導入すれば、消費者、つまり教育を受ける子どもたち、あるいはその親は自由に好きな学校を選択することができるようになります。そうなると、たとえば不登校の子どもたちを専門に扱う学校や、職業訓練に力を入れる学校など、子どもたちのニーズに合わせた学校が出てくるようになる。つまり、この制度は消費者の権利を守ることにつながるのです。
岩田 今、柿埜さんが言ったような不登校や障碍者の子どものための学校などは、すでに民間レベルでも結構あるわけですが、今の教育制度では既存の学校のように国からのお金がなかなか回ってこないのが実状です。だから、ボランティアや寄付に頼らざるを得ない部分が大きいのですが、国からのお金が学校ではなく、子どもたちに直接行き渡るようになると、そこに進学した生徒の数に応じて、運営資金も自然に回るようになるのです。
ところが、今の教育現場の人たちは教育バウチャーに反対する人が多くいて、決まって教育を市場原理主義で考えるな、と言ってくる。
柿埜 教育バウチャーをやると受験校に人が集中して、人間教育的なものがおろそかになる、という言い分ですよね。でも、この主張って消費者のことをものすごく馬鹿にしていると思いませんか。これは消費者自身が子どもをどう教育すればよいかわかっていないと決めつけて、教育の“専門家”である自分たちが教えてやろう、という上から目線の態度です。自動車メーカーは、「消費者に任せるとスピードが速い車ばかりになってしまい、デザインが軽視される。専門家である我々が、消費者の買う車を決めるべきだ」なんて言わないですよね。話が教育になると、何故こんな主張がまかり通るのか不思議です。
こうした主張は教育現場における既得権益を代弁するものに過ぎません。そもそも今の教育がそんな素晴らしい人間教育を提供しているのでしょうか。市場を活用することで消費者の選択肢を広げることができる教育バウチャーよりも、現在の教育体制のほうが弱者に冷たい仕組みです。
岩田 文科省が定めている学習指導要領には、子どもたちに教えなければいけない要項が事細かに定められているのですが、そんな複雑なものにせず、自由民主主義という普遍的な価値を共有することが前提である、という基本だけ押さえておけばいいんですよ。そのほかの細かい方針は各校に委ねればよい。
そして、この前提を満たしている学校にのみ教育バウチャーを適用できるようにする。間違っても自由民主主義に反するカルト教団や全体主義を信奉するような学校を国の税金でまかなってはいけない。
教育バウチャーによって消費者が自由に選べる環境を用意すれば、ニーズに合わせていろいろな教育方針の学校が出てくるようになる。本当の意味での多様性が生まれるのです。
一方で、今ある学校の中には淘汰されるようなところも当然出てくるわけですから、それを市場原理主義だとレッテル貼りをしながら必死になって導入を阻止しようとしている人たちも多くいるので、けしからんかぎりですね。
柿埜 左派はフリードマンのことを弱者切り捨ての“市場原理主義者”だとレッテルを張りますが、当のフリードマンは教育バウチャーや、これも本書で扱われている負の所得税といった弱者保護の政策を提案しているんですよ。
岩田 日本の左派系野党が最近政党公約に給付付き税額控除を盛りこみました。この「給付付き」の部分が、フリードマンの言うところの負の所得税に当たります。
柿埜 あるいは、ベーシック・インカムという言葉を使っていますよね。何故かベーシック・インカム提唱者の中には、ベーシック・インカムと負の所得税とは異なるものだと誤解している方が少なくないのですが、おかしな話です。所得分配上の効果は全く同じです。
岩田 日本の“リベラル”の人はフリードマンが嫌いで、悪の権化のように見ている。だから、本来は給付付き税額控除やベーシック・インカムなんて口が裂けても言ってはいけないんですけどね。ところが右も左も揃ってベーシック・インカムを掲げている始末で。ベーシック・インカムの基礎がフリードマン案だと知ったら、これ以上は言わなくなるのでしょうかね。
柿埜 岩田先生も本書で指摘されている点ですが、「フリードマンが言ったことだから反対」とか「新自由主義だから反対」といった幼稚な議論はいいかげんやめるべきですよね。
誰が既得権益を守っているのか
岩田 日本の既得権益の問題というのは教育に限った話ではなく、産業面においてもたとえば農業従事者のことを弱者だと認知して、その産業構造を保護しているのが現状です。農業の規制には、例えば、株式会社が農地を所有して農業をすることできなくしている、といった参入規制があります。
参入規制は他の業種でもありますが、医療や介護、保育といった分野が特に顕著です。それを岩盤規制といって、安倍元総理はアベノミクス第3の矢の規制緩和政策で是正しようとしたのですが、目立った成果をあげることはできませんでした。
付言しておきますが、規制緩和政策をデフレ下の不況時に行ってしまうと、雇用が余計に減ってしまうことになりかねないので、かえって危ないんですね。ところが、アベノミクス第1の矢の大規模な金融緩和でデフレは脱却しつつありましたので、これからは規制緩和も積極的に進めて、企業間競争を活性化させなければならない状況です。
企業間競争が活発になれば、企業は生き残るために自発的に労働生産性を高める努力をするようになります。そのためには、未だにアナログの行政がITやDXを推進して、中小企業でもグローバルマーケットに参入できるような商品をどんどん作ってもらって、国は売れる環境を整備する、と。そうして労働生産性が高まっていくと、やがて実質賃金は上がっていくのです。
柿埜 教育や農業、福祉分野等は特にそうですが、多かれ少なかれ、どの業界でも市場に任せてはいけないという主張がはびこっています。規制が新規参入を阻害し、消費者の利益を損なっているから、それを是正しましょう、市場を敵視するのではなく活用していきましょう、という話をしているだけなんですが、そういうことを言うと、すぐに“新自由主義”だ、市場原理主義だとレッテルを貼って、思考停止に陥ってしまう。こういった批判は既得権保護の隠れ蓑に過ぎないことが殆どです。
岩田 それは今の岸田政権にも当てはまるね。
柿埜 そうですね。アメリカの州ごとの規制と格差の関係をみると、規制が多い州ほど格差はむしろ大きいんです。国際比較でみても参入規制の多い国や地域ほど、むしろ格差が大きい。規制産業が巨大化した国の格差が大きくなるのは自明のことです。中国やロシアのような社会主義的な権威主義国家では、格差が極めて大きいだけでなく、富裕層の多くは政府とのコネで富を手に入れた国営企業の経営者や政治家です。
日本の現政権が“新しい資本主義”という名のもとでやろうとしている古い社会主義のような、国が一方的に弱者だとレッテルを貼った生産者、企業に補助金を配る、集団主義的な再分配政策を実行していくと、余計に既得権益が保護されて、格差が固定化される、という流れは今後加速していくでしょうね。
むしろ、低所得者層に対する所得分配政策は、直接消費者が受け取ることができ、自らが用途を選択できる、負の所得税や教育バウチャーといった、個人ベースの再分配政策に変えていくべきです。これは日本に限らず、世界のほかの国でも多かれ少なかれ抱えている問題ですから、積極的に議論をしていかなければならないですね。
岩田 日本で言えば、農産物の需要が国際的に増えているので、農業は輸出産業としても有望ですし、国内に目を向けても介護や保育の需要が高まっています。まさにこれからの日本を担う成長産業なのですが、いかんせんそういった産業にこそものすごく規制がかかっている。
この規制は業界団体、政治家、官僚による「鉄の三角形」の構造で、お互いに利権を補完する形でガッチリ組んでいます。最近ではここに大手メディアを加えた新しい構造になっているようですが、新規参入を排除して、その産業内での競争を阻害して、特定の企業が莫大な利益を得ている。その既得権益を守ることに、国の運営を担うような立場の人たちが精を出してしまっていて、日本全体のことを何も考えていません。
競争を否定して弱者保護の名目で特定の産業に補助金をまく。何も努力せずに補助金が受け取れるなら、企業は生産性を上げる必要もない。産業自体が補助金漬けの構造のままだと、このような補助金目当ての生産性が低い企業がいつまでたってものさばってしまうんです。この点が保護政策の一番の問題ですね。
[註1] 例えば、Chambers, D., and O'Reilly, C. (2021)“Regulation and income inequality in the United States,”European Journal of Political Economy, 102101.