『人類と感染症の歴史』
『続・人類と感染症の歴史』
(タイトルクリックで出版元HPへ)
著 者:加藤茂孝
出版社:丸善出版

ヒトとウイルス、その“恐怖”の歴史―人類と
感染症のかかわりをたどる

加藤茂孝著『人類と感染症の歴史』『続・人類と感染症の歴史』(丸善出版)

加藤茂孝(『人類と感染症の歴史』シリーズ著者、元国立感染症研究所室長)× 澤井 直(順天堂大学医学部医史学研究室・助教、『医学史事典』編集幹事)往復書簡


■「賢い」ウイルスの生存戦略/ヒトとウイルスの歴史


◎澤井直→加藤茂孝
【澤井】 現在、新型コロナウイルスに関して、さまざまな情報が各種報道で飛び交っています。学術的な情報に限っても、疫学調査、検査のあり方、治療法や予防法の開発、感染拡大防止の公衆衛生対策などが盛り込まれています。 今回は、先生から教えていただいたことに絡めて、感染症の歴史的事例と感染症対策についてお聞きしたいと思います。

▽一・「賢くない」病原体による感染症の事例
加藤先生は、「宿主を殺さない病原体」を「賢い病原体」と表現されましたが、感染症の歴史研究ではとてつもない害をもたらす事例が取り上げられます。例えば、ガレノスの報告で有名な二世紀後半のローマ帝国を襲った疫病(「アントニヌスの疫病」)は三〇%近くの市民の命を奪ったという推計もされています。このような、ある地域の人口の数十%に打撃を与えるような感染症は、「賢くない」病原体によるものもあったのでしょうか。また、「賢くない」振る舞いをしていた病原体が「賢い」振る舞いを身に付けることはあるのでしょうか。

▽二・「賢い」ウイルスの事例
COVID-19の特徴である、感染者が明確な症状を示さないこと、これも「賢い」と表現されましたが、このような意味での「賢い」ウイルスによる感染症の事例は他にもあるのでしょうか。

▽三・ウイルスへの対策
感染症への対策として用いられる予防接種、隔離、投薬などの方法は、ウイルスを中心にして考えた場合に、それぞれどのような対処となるのでしょうか。また、人間にとってどの対策が効果的なのでしょうか。

▽四・「賢い」ウイルスへの対策
天然痘が撲滅できた理由の一つとして、感染すると必ず発症するので感染者を確実に発見できたことが挙げられますが、感染者が明確な症状を示さない「賢い」ウイルスに対してどのような対策ができるのでしょうか。COVID-19は天然痘のような撲滅を望むことは不可能なのでしょうか。先生からのご返事にあった、病原体と宿主の「共生関係」を目指すしかないのでしょうか。

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◎加藤茂孝→澤井直

【加藤】 ご質問をありがとうございます。さて、これらのご質問は専門家も含めて誰もが抱く疑問です。


▽一・「賢くない」病原体による感染症

 「アントニヌスの疫病」は天然痘とされているようですが、ガレノスが記載している症状のすべてが天然痘と一致するのかどうかは分かりません。有名な日本の歴史年表でペストと書いてあるものもあります。 もっともペストは英語でplagueと書きます。plagueは本来疫病という意味であり、次第にその代表格のペストの意味になっていった経過があるので、疫病という意味で原本または年表にPlagueと書かれていたものを、翻訳する際にペストと訳したのかもしれません。 その天然痘ですが、現在でも致死率二〇~五〇%とされています。二〇〇三年ジョージ・ブッシュ・ジュニア大統領がイラクに「バイオテロと大量破壊兵器」がある危険性を理由に攻め込んだ時に、私は米国CDC(疾病対策センター)に客員研究員として滞在していたのですが、米軍兵士六〇万人に種痘を実施しました。大統領自らが第一号の接種者としてTVで種痘するシーンを見せていました。その折にも「種痘をしていないと罹ったら二〇~五〇%が亡くなる」と訴えていました。しかし、攻め込んだ結果、実際にはイラクには天然痘も核兵器もありませんでした。正確な情報を集める事の大切さをいつも終わってから学ぶことになる例です。
天然痘は、牛の牛痘(カウポックス)がヒトに入って天然痘になったと長らく信じられていましたが、近年の(天然痘が含まれる)ポックスウイルスグループのウイルス遺伝子の系統樹から、げっ歯類のタテラポックスがラクダに入りラクダ痘(キャメルポックス)になり、それがヒトに入って天然痘(スモールポックス)になったということが明らかになっています。おそらく、歴史を通じて最も多く人類を殺したウイルスだと思われます。
それでも天然痘に罹って、感染死か、治ってもあばたが残るか、治って何も残らないという三種の転帰を経て、人類は生き延びてきました。一七九六年(論文は一七九八年)のエドワード・ジェンナーの種痘法の発明(発見?)により、一九八〇年に人類が初めて根絶に成功した感染症になりました。我々は、ジェンナーの贈り物を感謝し忘れてはならないと思っています。
天然痘が人類に入ったのは、今から三〇〇〇~四〇〇〇年前と系統樹から推計されており、この間にヒトに対する病原性が変化したかどうかわかりません。一般論から言えば、異種の動物に入ると初めの内は病原性が強く出て多数を殺しますが、世代を経るうちに次第に宿主との共生関係が出来てきて、病原性が減ってゆくと思われています。
エボラ出血熱は予防や治療をしないと大変高い死亡率で宿主が死んでゆきます。これはウイルスにとって「賢くない」と思われています。エボラは二〇一四年の西アフリカや二〇一九年のコンゴ民主共和国の大流行以前は、多くても部落における数百人規模の流行で止まって消えていきました。コウモリからヒトに入る機会がないと、ヒトでは流行が持続しないのです。コウモリでは症状が出ないとされています。 人間の体内には、調べてみると色々な病原体が寄生、共生しています。ほとんどの場合、健康であれば発症することはありません。例えば、移植による免疫抑制剤の投与や、AIDSによる免疫低下によりそれらの病原体が動き始めるのです。帯状疱疹ウイルス(ウイルスとしては水痘ウイルスと同じもの)、EBウイルス、HHV8(カポジ肉腫の原因ウイルス)などのヘルペスウイルスがその代表例です。彼らは、昔持っていた病原性を次第に低くしていき、潜伏感染状態を選んで一生宿主と共存しようという選択をしたのだという見方もできます。 麻疹も、昔はもっと多くの人を殺したとされています。古代日本では、赤もがさが麻疹、もがさが天然痘として共に恐れられていました。「麻疹は命定め、疱瘡(天然痘)は見目(ルビ:みめ)定め」と言われていたくらいです。見目さだめとは、治った後のあばたが残ることが、特に女性には嫌われたからです。
ヒト・コロナウイルスの中でも、SARS、MERSは致死率が高く、COVID-19のウイルスの方が「賢い」ウイルスだと言えます。 新型コロナウイルスが、いつか病原性を減少させてゆく可能性はあります。そして、幸運にも共生状態に入り、普通の「風邪ウイルス」として定着してゆく可能性はあり、それを期待したいです。

▽二・「賢い」ウイルス

良い例かどうか分かりませんが、「ずる賢い」例としてインフルエンザウイルスを挙げたいと思います。インフルエンザウイルスは生存戦略としてとてもずる賢く、多岐にわたる生存戦略を開発(?)しています。
(1)そもそも、渡り鳥が自然宿主であり、ウイルスは世界中(主に南北方向で)を動けます。渡り鳥には症状が出ません。
(2)抗原性が多岐に渡る。抗原性でこのウイルスを分類してもA亜型、B亜型、C亜型があります。A亜型の中には、二種類の大きな抗原部位があり、HとNと表記しています。Hには一八種類、Nには九種類もあり、この組み合わせである一八x九=一六二種類のウイルスが存在するはずです。ただ実際には、H1N1、H2N2、H2N3の三種類しかヒトに大流行(パンデミック)を起こしていません。それでも同じH1N1のウイルスそのものが数年ごとに変異を起こして少しずつ変わってゆきます。だからインフルエンザワクチンは毎年ワクチンの元になるウイルス株が変わってゆきます。
(3)ウイルス遺伝子は一本鎖のRNAですが、それが八つの分節に分かれており、ときどきその分節が異なる抗原型のウイルス同士で入れ替わり、新しい組み合わせのウイルスが出来ることさえあります。その例がH2N2⇒H3N2です。こういう複雑な戦略を持つことから、人類に最後まで残る大変なウイルス感染症だと思われています。
新型コロナウイルスは、武漢分離のウイルスから少しずつ変異を重ねて、グループを作っていますが、グループごとに病原性が異なるというデータは、今のところありません。どのように感染が広がっていったのかが分かるだけです。

▽三・ウイルスへの対策

ヒト・ヒト感染をするウイルスの場合の感染症対策においてまず取るべき対策は、ヒトとヒトの間を遮断することです。国境を越えるなど長距離を移動する場合には、古典的な検疫が依然として威力を発揮します。しかし、新型コロナウイルスの場合は、感染しても症状が無いか軽い症状のケースが合わせて八〇%もあるので、その間に軽々と検疫を通過してしまうので大変始末に負えません。同じコロナウイルスでも、SARSやMERSの場合には明確な症状が出るので、症状をもとに隔離し治療しやすく上手く対策が成功したのです。天然痘根絶計画の際も天然痘特有の症状(痘)が必ず出るので、患者を発見出来たことで成功したのです。
動物からヒトに感染する場合には、同じようにその動物とヒトとの距離を置くなど遮断することです。日本脳炎はブタから蚊を媒介してヒトに感染します。私の子供の頃の農村や、成人してからでも都心近郊では豚を飼っている家がありました。それが豚小屋の匂いなどが次第に嫌われるようになって豚の飼育場所が人間の住居から離れていったのが、日本脳炎患者の減少の意外な成功理由です。もちろん日本脳炎ワクチンの定期接種が小児には行われていましたが、豚とヒトとの距離を離したことの方がより効果があったようです。
インフルエンザでは、ワクチンや抗ウイルス薬が効果をあらわしています。新型コロナウイルスも同じ方法が期待されており、現在製薬関係者などが全力で開発に取り組んでいて、その早い成功が期待されています。
インフルエンザや新型コロナウイルスの場合は上気道感染なのですが、実は手の洗浄や消毒(アルコールや石鹸)が効果的です。人々が思っている以上に経口・経鼻感染においてさえも手経由の比率が高いのです。つまりウイルスの付いた手で、鼻や口、目を触ることが意外にも人間の行動で多いことが分かってきました。

▽四・「賢い」ウイルスへの対策

天然痘は根絶に成功した珍しい例ですが、天然痘と違って症状が明確でない新型コロナウイルスの場合は、根絶ではなく共生の道を目指すことになると思います。おそらく今回の流行が、波はあるとしてもこの一年で減少してゆき、二、三年は続く。あるいは、一旦消えてその後二回くらい出てくる形になるかもしれません。そのあとは、これまで見つかっている四種類の弱毒性の風邪コロナウイルスと同等、あるいは少し症状の強い風邪ウイルスになる可能性が高いと思っています。

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◎澤井直→加藤茂孝

【澤井】 ご返事ありがとうございました。アントニヌスの疫病を「ペスト」とするのは、ドイツ語で「Antoninische Pest」あるいはフランス語で「Peste antonine」という表現があること、あるいはラテン語の史書でこの疫病に対して疫病一般を指す語だった「pestilentia」という表現が用いられたことに起因するのかもしれません。ガレノスが記した症状や同時期に中国でも天然痘流行の記録があることなどから天然痘だったとする説が有力となっています。
「賢い」ウイルス、「賢くない」ウイルスの例を具体的に示していただき、ウイルスのあり方が多様であること、また感染症の対策はウイルスのあり方に応じて変えていく必要があることが分かりました。感染症に対する対応は「闘い」と表現されることが多いですが、対処すべきウイルスについてよく知ること、人間の側の活動に潜むウイルスを蔓延させる要因を知ること、どちらも必要であると強く感じました。

*加藤茂孝氏の著書『続・人類と感染症の歴史』の一部をウェブで無償公開。
加藤氏による、新型コロナウイルス(COVID-19)の最新コラムも掲載中である。
https://www.maruzen-publishing.co.jp/info/n19784.html