夏の坂道
著 者:村木嵐
出版社:潮出版社
ISBN13:978-4-267-02166-4

吉田茂と対立した東大総長南原繁の生涯

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

菊池壮一 / 日比谷図書館文化館
週刊読書人2020年2月14日号


 村木嵐は1967年生まれ。司馬遼太郎の家事手伝い・秘書を務めながら小説修行に励み、2010年、天正遣欧使節に同行したキリシタン少年の悲劇を描いた「マルガリータ」(文藝春秋)で松本清張賞を受賞。作家人生を本格的にスタートさせている。

 村木の司馬家に対する思いは大きなものがあり、司馬亡き後も司馬夫人で司馬遼太郎記念財団理事長の福田みどりの個人秘書を務めながら執筆を継続。福田は2014年に亡くなるが、その最後の入院の際も病院に泊まり込み福田の枕元で書き続けたのは有名な話である。現在は、生まれ故郷である京都に帰り穏やかな作家生活を送っている。

 そんな村木嵐の「夏の坂道」は昨年3月潮出版社より刊行された、戦後最初の東大総長南原繁の生涯を描いた長編小説である。

 南原は明治の終わりに東京帝国大学で学び、内村鑑三の影響を受けてキリスト教徒となり、大正10年帝大法学部助教授となって教員人生を歩みだす。軍部の支配が強まりゆく中、恩師や同僚への迫害や弾圧、また自らの信条に反して多くの教え子を戦地に送り、そして失う悲しみに耐えながら、学問と教育の自由を守り抜こうとする。どうにもならないもどかしさを感じつつも必死で戦おうとする。そんな姿が感動的に描かれ、物語に引き込んでくれる。

 南原は、昭和21年には貴族院議員となり、自由主義国との片面講和でなく共産主義国も交えその中で中立的立場をとる全面講和を主張したり、将来国連に復帰するためには国連軍に派遣する軍隊を保有すべき等と主張して時の総理大臣吉田茂と対立をしている。

 今、改憲や軍備を再考しようという動きの中で、その当時の意見のぶつかり合いは非常に参考になるはずで、そういう意味でもこの時期にこの本が刊行されたことはたいへん有意義であると言えよう。また、村木の弟南野森が、九州大学法学部教授で日本の代表的憲法学者として活躍していることもたいへん興味深い。

 村木嵐は、「マルガリータ」以降なかなか光る作品が描けず、様々な試行錯誤をしている。基本的には歴史・時代小説を書いているが、完全フィクションな江戸人情ものにも挑戦をしてみたこともある。しかし、どれもビッグヒットにはつながらなかった。

「夏の坂道」は、明治から昭和にかけての物語で村木としては初めて手がけた現代もの。

 刊行早々に重版がかかったようだが、この時代彼女に向いているのかもしれない。色々と細かく調べて書く貴重な作家の将来に大きな期待をしている。