平成16(2004)年
2月11日 吉野家が牛丼販売休止へ。
BSE問題で米国産牛肉の輸入が禁止されたため。牛丼から豚丼へ。
未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために
著 者:ドミニク・チェン
出版社:新潮社
ISBN13:978-4103531111
わたしたちはどのように対話するのか
図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】
週刊読書人2020年6月5日(3342)号
ここ10年における技術の発達や普及はめまぐるしいものがある。こういった表現そのものが「既に使い古された」と言えてしまうほどだ。スマートフォンは一人一台の時代となり、通信網は張り巡らされ、いつでもどこでも誰もがインターネットに接続可能になった。生活や仕事の一部で利用される単なる道具にとどまっていない。社会において、隅々まで血液のように情報を行き渡らせ循環させる、個人ではあらゆる瞬間に情報の受発信を可能にし、世界と接合する。誰もが世界中の情報と常時接続可能となることで、人と人とを隔てる空間的距離は飛躍的に短くなった。同時に機器やソフトウェアの性能も向上し、動画や画像の共有、加工・編集も容易に行えるようになり、もはや文字以外の情報でも意思疎通をはかれる時代になったはずである。
しかし、多様なチャンネルと方法で情報を受け取ることができるようにはなったものの、そこにあるのは理性的で完璧で、素早く、理解しやすく、即物的で消費されるだけの情報ではないだろうか。効率良く合理的で便利になったが、もっと表現されるべき人の内側に踏み込んだ情報や感情を深く読み取ることができているだろうか。あふれる情報に一抹の寂しさを覚えるのは、互いを自律的な他者として認め合い、生き生きとした反応と循環で作られる社会の姿が見えないからではないだろうか。技術とメディアが、ひとびとの生活様式そのものを変容させつつある一方で、はたして10年間で人間の精神や思考は社会の変容をどれだけ受け入れることができ、どれだけの進歩を遂げているのだろうか。自分自身が、そんな諦念と違和感を持ち続けている。
前置きが長くなったが、本書は、生まれた時から多文化・多言語に触れている独特な生い立ちを持つ著者が、その半生を振り返りながら、自分自身の思考や意思疎通の遍歴などを振り返りつつ対話について語る。文化やコミュニケーションを最先端で研究する立場にある著者が、自伝という方式をとることによって、哲学や言語学の諸問題とテクノロジーやメディアが人間と心、社会とのつながりに及ぼす影響をやわらかく結び付けている。前述のような技術革新に直接的に警鐘を鳴らすのではなく、情報技術やメディアを通して自律的に共生するための方法を模索してゆく。小難しい理屈や観念を説明するのではなく、円らな言葉で自分自身の体験と実践をもとに語りかける。同じ言語で会話をしてさえいても、その概念や表現に個性がある。至極当たり前のことではあるが、その「わかりあえなさ」をつなぐものが言葉だ。言葉とは元来、「わかりあえなさ」を翻訳し、つなぐものなのである。
いま、語る手段を持たないことを言い訳にしてはならない。ヒトの進歩を信じているからこそ、考え抜き挑戦することができるのだろう。進むべき未来と語る言葉をあきらめない。強く、やさしく、諭されたように思う。