最期の言葉の村へ 消滅危機言語タヤップを話す人々との30年
著 者:ドン・クリック
出版社:原書房
ISBN13:978-4-562-05720-7

熱帯雨林での死

辛抱強く、迷い多く、しかし一種の愛情を込めて、綴る

吉岡乾 / 言語学者・国立民族学博物館准教授
週刊読書人2020年4月10日号(3335号)


パプア・ニューギニアの熱帯雨林で話されている消滅の危機に瀕した言語を調査した、人類学者ドン・クリック氏(ウプサラ大学)によるエッセイ本。一つの言語が最期を迎えている、そんな場面の一部をしっかりと見続けた研究が、辛抱強く、迷い多く、しかし一種の愛情を込めて、編集され、綴られている。タイトルも、「最後の言葉」ではなく、「最期の言葉」だ。
 
言語学者として僕が、読み終えて最初に思ったのは、正直、氏が偏見満載で描く言語学者像が鬱陶しくていただけないということだった。なるほど、そういう連中が彼の周囲に居たのだろうけれども、十把一絡げにするとは感心しない。近隣分野に関する誤解というのが、得てしてそのようにデフォルメされる嫌いがあるのもほぼ確かで、解らなくはない。でも、やっぱり雑な括りはやめて欲しい。
 
内容は人類学者らしく、物事を中々ストレートに書かない手法で述べられている。おっと、これが僕の人類学者への偏見だが、この著者に関しては当たっているだろう。迂言的に、ともすれば起伏の少ない小説かのように描写される語りは、それでいて多くの余白を含み持っており、読者がそれを(恐らく)適切に読み取れるようにと紡がれている。ざっくり言えば、氏が人類学の研究者としてある村へと訪れ、ブランクもありつつ約三〇年、緩やかかつ着実に消滅へと歩を進めている言語を見詰めながら、同時に生活誌的にも仕上げようとした、といった一冊である。そこには、日本で生まれ育っている我々では空想も至らないような暮らしぶりがある。村人の食生活、思想、社会のあり方、周囲の自然……すなわち、文化も含んだ生態環境がありありと記述されており、それを読み取っただけでもお腹が一杯になった。冒険好き、秘境好きの人には良いかも知れないが、楽な暮らしが好みで食にも保守的な僕のような者にとっては、我がことじゃなくて良かったと思わせるほど迫真だ。そして、それを感じることがこの本を手に取る意味の一つであると、書かれている。だから、素直にそう感じよう。
 
僕自身が研究調査に行っているのはパキスタンの山奥で、パプア・ニューギニアの熱帯雨林の奥地とは、えらく対照的である。けれども、調査の部分部分は、酷似した経験を思い起こさせた。噂話が好きだったり、言語に不慣れな他者の喋りを粗探ししたがったりする村人たち。舌に合わぬ食事への苦悩(比較もおこがましいくらい、僕の調査地よりここのほうが厄介そうだ)。彼が現地で、ある一つの単語を巧いこと採れなかった話が述べられているが、偶然なのか必然なのか、僕もちょうど同じその単語を現地調査して、十人十色の回答を得たことがある。罵り言葉に眼を付けている辺りも、思わず「炯眼かな」と膝を打った。たまたまかも知れないが、生き生きとした言語使用の場面として、そのチョイスは光っている。
 
本来なら誉めるだけで済ませたいが、折角なので、ちょいと批判的な指摘もしたい。本書の帯が当然ながら大絶賛なので、讃辞は各自でそちらも参照していただければ良い。いや、全面的に面白い本なのだが、いかんせん天邪鬼な性格なので、それだけでは終えたくないとも言える。まず、言語学的に誤認している、あるいは危うい表現が散見される。「古い言語」だとか、「トク・ピシンがピジンである」だとかだ。言語は常に変化するので、「古い言語」などと迂闊に言うべきでない。トク・ピシンは、名に反してピジン(商業目的などで一時凌ぎに生じた、言語と呼ぶには表現力の足りないコミュニケーション手段)ではなくクレオール(ピジンを次世代が継承し、発展させて一人前の言語になったもの)である。「総合的」という用語も誤解があるようだし、訳者が割り註で「日本語は総合的言語に分類される」としているのも奇妙だ。総合性(一つの単語にパーツを幾つ含み持てるか)は程度の問題であって、中国語にだって総合的側面はある。訳者と言えば、訳が日本語として悪い部分もある。例えば、marijuanaを「マリワナ」としているが、大麻やマリファナの名が一般的だろう。一九九六年に日本でもプレイステーション用ソフトとして発売されたゲーム、『クラッシュ・バンディクー』でキャラクター化もされたbandicootを「フクロアナグマ」としているが、そんな呼び名は少なくとも今はせず、バンディクート(別名フクロウサギ)とすべきである。フクロアナグマはタスマニアデビルの別称でもあるので、不適切だ。
 
とはいえ、やはり、居心地の良い場所で平穏とともに読む分には、異文化理解にも適した佳書であった。(上京恵訳)(よしおか・のぼる=言語学者・国立民族学博物館准教授)
 
★ドン・クリック=パプア・ニューギニア、ブラジル、スカンジナビアでフィールドワークを行い、現在はウプサラ大学で人類学の教授を務めている。一九六〇年生。