パブリック・ヒストリー入門 開かれた歴史学への挑戦
著 者:菅豊
出版社:勉誠出版
ISBN13:978-4-585-22254-5

専門家と市井の人々

そのあいだにある溝を埋める試み

関礼子 / 立教大学教授・社会学
週刊読書人2020年4月17日号(3336号)


「学問の公共性」が問われる時代に、「パブリック」を冠にした学問のひとつとしてパブリック・ヒストリーは登場した。その定評ある英語圏の入門書に『オックスフォード・ハンドブック オブ パブリック・ヒストリー』があるが、本書は日本版の『ハンドブック オブ パブリック・ヒストリー』を目指し、よりパブリックであることに意欲的に編まれた。
 
パブリックを「公共」と訳すと、公的で、オフィシャルな、官製の堅苦しさを想起するかもしれないが、そうではない。パブリック・ヒストリーは、誰もが共有でき、誰にでも開かれている歴史実践を分析の対象とするからだ。
 
歴史は教科書のなかだけにあるのではない。自分史(パーソナル・ヒストリー)や、家族の歴史(ファミリー・ヒストリー)があり、地域や所属集団の歴史のなかに誇らしい「伝統」を見いだすこともあれば、戦争責任や企業犯罪のように自らが関与しえない時代の「罪」を問われることもある。歴史学の専門家でなはない市井の人々も、歴史とかかわり、歴史とつながりながら生きている。過去と対話しながら、現在と未来の現実世界を構築する、歴史実践の主体である。
 
こうした人々の歴史実践の場に、歴史家だけでなく、民俗学や社会学、文化人類学や映像制作の専門家がかかわってパブリックに開いていくのが、本書の目指すパブリック・ヒストリーである。
 
本書は、理論編と実践編で構成されている。実践編は、フィールドのなかからパブリック・ヒストリーの輪郭を描く。研究者は、歴史をめぐる分断と対立を架橋し、断絶と喪失に抗って記憶しようとする人々の歴史実践にコミットする。これまで歴史学が排除してきた、「復活させるべき過去」と向き合って生きる人々の姿を浮かび上がらせる。戦争、そして東日本大震災の歴史実践が多く取り上げられているのは、それらが日本におけるパブリック・ヒストリーの沃野だからだ。
 
たとえば、戦争。日韓の歴史問題を解決するための「対話」と「交流」も、どのように、何のためにという視点を欠くと、マジックワードに堕してしまうのであり、「断絶を可視化する」必要性が指摘される。また、中国人に戦争責任を叱責された経験から戦争の記憶についてインタビュー調査を重ね、性暴力被害などの最も苦しい記憶が共同体内部で共有・更新されず断絶することで、中国人の戦争記憶は激しい感情を表出させると結論される。さらには、東京大空襲やヒロシマの写真・証言のアーカイブ化、デジタル・コンテンツ化、AIによる白黒写真のカラー化を通して歴史が発信され、記憶が「解凍」され、断絶した現在と過去がつながる状況が示される。
 
これまで、専門家と素人の溝を融解させる学問潮流といえば、科学技術社会論や科学コミュニケーションを思い浮かべることが多かった。本書は、ここに新たにパブリック・ヒストリーが加わるのだと宣言する一冊になっている。(せき・れいこ=立教大学教授・社会学)
 
★すが・ゆたか=東京大学大学院教授・民俗学。一九六三年生。
★ほうじょう・かつたか=上智大学教授・東アジア環境文化史。一九七〇年生。