ポラリスが降り注ぐ夜
著 者:李琴峰
出版社:筑摩書房
ISBN13:978-4-480-80492-1

どんな灯りのない時代も迷い人の目印になったように

神田法子 / ライター・書評家
週刊読書人2020年4月24日号(3337号)


アジア最大級のゲイタウン新宿二丁目。その片隅にあるレズビアン系の店舗が密集する〈Lの小道〉の一角、〈ポラリス〉という店をめぐる七つの物語が星座のようにつながって描かれる。
 
この街には名前を消して訪れる人たちがいる。「日暮れ」のゆーは、本名は遥だが、失恋の悲しみを慰めてくれる相手を求めてレズビアン専用掲示板に書き込みする際に思いつきでつけた名前だ。目的が性に特化されると、関係は刹那的になり、固有性は剥がされ、名前は邪魔になる。「五つの災い」のさえは、性別を変えるにあたり女性として生きる決意を固め、父の姓を冠し受け継ぐ意の「陳承志」を「蔡暁虹」という母の姓を使った女性らしい名に変え、現在は日本に馴染むようさえと名乗っている。
 
匿名性の裏側で皆それぞれの歴史を抱えてもいる。「太陽花たちの旅」の顏怡君は台湾で学生が国会を占拠しひと月近くも立てこもるという凄まじい経験をしている。〈ポラリス〉のオーナー北星夏子もまたこの街に迷い込み、海外に逃げ、戻ってきて四千もの夜をこの店で過ごしてきた。人ひとりの歴史の中で、誰かを愛することはひとつの大きな柱になるだろう。セクシュアリティという枷によって投げかけられた波紋によりそこにドラマが生まれる。
 
少しだけ個人的な歴史を話すと、二◯世紀の終わりの年から二、三年ほど、新宿二丁目の観光バーにボトルをキープして月一、二度通っていたことがある。街の住人だった友人に連れられ、いろいろな人の話が聞けることが楽しかった。その頃に比べ、セクシュアリティに関する情報はずいぶん一般にも広まったと思う。LGBTQという言葉も浸透したし、ゲイ=おしゃれ、レズビアン=美少女百合みたいなステレオタイプも払拭されつつある。「蝶々や鳥になれるわけでも」も蘇雪のような恋愛感情を持たないAセクシュアルという概念の登場などセクシュアリティの区分も複雑化してきた。そして海外からもたくさんの人がこの街を訪れるようになった。さながら性のDiverCityである。
 
変化の理由としてはやはりインターネットの影響は大きいだろう。以前なら街を知らない人間が紛れ込むには敷居が高かったのが、今では事前に自分が行くべき場所、受け入れられる場所はどこかという情報を得られる。自分自身の性に対する違和感や悩みについて調べれば、似た人を見つけたり専門的な知識に触れたりできる。
 
ただ愛したい、自分の感情に素直でありたいだけなのに、それができずに傷つき、性という記号に隠れ、名前や顔をも消して居場所を求めてやってくる女たち。〈ポラリス〉は彼女らを受け入れ「私達」として存在することを許してくれる場所だ。そして長い年月そこで過ごした夏子は、それぞれの客の顔――単数形としての生と歴史――を胸に刻んでいく。それはとても愛おしい記憶だ。
 
そんな愛すべき場所も今危機にさらされている。二〇二〇年四月現在、コロナウイルスによる感染爆発を抑止するため、人が集うことが禁じられ、集まる場に亀裂が入る。明日どうなるともわからない闇が広がっている……それでもきっと北極星(ポラリス)は、どんな灯りのない時代も迷い人の目印になったように、私たちの心の中に存在し、降り注ぐ光で生きるべき道を導いてくれる。(かんだ・のりこ=ライター・書評家)
 
★り・ことみ=作家・翻訳家。著書に『独り舞』『五つ数えれば三日月が』など。一九八九年生。