〈ホームズ〉から〈シャーロック〉へ
著 者:マティアス・ボーストレム
出版社:作品社
ISBN13:978-4-86182-788-4

無数の「起源」を持つシャーロック・ホームズ

一三〇年を超える「始まり」と「終わり」の紆余曲折を俯瞰する

石橋正孝 / 立教大学観光学部准教授・フランス文学
週刊読書人2020年5月8日号(3338号)


物語の始まりは「一八七八年晩秋のある金曜日」に置かれている。場所はエディンバラ王立診療所の手術実習教室。そこに押しかけた学生たちのお目当ては、名物講師ジョゼフ・ベルの講義。階段教室の三列目に座った学生は、その名をアーサー・コナン・ドイルといった……。
 
いうまでもなく、以上はとりあえずの始まりにすぎない。観察の力だけで患者の来歴や職業を言い当ててみせたベルは、シャーロック・ホームズの「モデル」の一人ではあったにせよ、間違っても「起源」ではありえない。他方、一八八五年頃に作者の手で書かれた人物設定のメモは、紛れもなくホームズ誕生の「現場」であり、「ここからすべてが始まったのだ」と言えるにしても、第一作『緋色の研究』と第二作『四つの署名』の間に飛躍(再設定)がすでにあり、さらなる飛躍として、当初は六作で打ち止めの予定だった短編シリーズが書き始められる。シャーロック・ホームズには、いわばその都度始まり直す力があって、裏を返せば、終わらせようとする力とセットになっている。実際の「登場」以前に遡るまでもなく、このキャラクターには無数の「起源」があるのだ。
 
短編シリーズの最初の数作が出版エージェントの手を経て、一回の掲載分にはやや長すぎるという理由から「ストランド・マガジン」に売り込まれ、手違いからシドニー・パジェットに挿絵が依頼され、と、偶然が偶然を呼ぶうちに、コナン・ドイルの原文にすでにあった始まりと終わりの間のこの鬩ぎ合いは、作品外でも反復されて増幅し、どんどん作者の手に負えなくなってしまう。以後、読者に代表される外部の力が「始まり」をもっぱら担い、作者は基本的に「終わり」の側に荷担しつつ、両者の間でどっちつかずの動揺を重ねることになる。無数の「起源」が連なっていくこの運動は、作者の死をもってしても押し止められず、むしろ当然のように増幅の一途を辿って現在に至る。スウェーデン出身のシャーロキアンたる著者が本書で俯瞰しようとするのは、一三〇年を超えるこの運動の紆余曲折であり、それに巻き込まれた人々の悲喜劇である。
 
このキャラクターには人一人の人生を簡単に狂わせる力があり、最初にその「犠牲」となったコナン・ドイルの運命は、アメリカで初期にホームズを演じたウィリアム・ジレット、その容貌に合わせて挿絵を描いたフレデリック・ドア・スティール、四〇年代のホームズ・イメージを一身に担ったバジル・ラスボーン、八四年からの十年間にそれを刷新したジェレミー・ブレットによってそれぞれ違う形で反復される。コナン・ドイルの息子たちも父と同じ轍を踏み、シャーロキアンの活動を押さえ込もうとしてかえって激化させる。作者以外の人間を巻き込んで何度でも「始まり直す」キャラクターは、誰かが著作権の主張によってそれをコントロールし、終わらせようとすればするほど、生き生きと甦り、著作権主張の必要性だけが膨らんでいく。この点で、二〇一四年にアメリカで、ホームズとワトスンというキャラクターの全体に対してコナン・ドイル財団が主張した著作権を、法廷が明確に否定した時、〈起源の確定=最終的なコントロール=終わらせること〉の不可能性が理詰めで宣告されたのだった。
 
では、名探偵が晴れて万人の共有物となり、「終わらせる力」が無効となったことによって「始まる力」は弱まるのだろうか。本書のタイトルが示すのは、その逆の事態である。かつて(一九四〇年代初頭)ハリウッドでラジオドラマの脚本を担当したイーディス・マイザーは、名探偵をうっかり気安く「シャーロック」と呼び、原作者の次男から「彼のことはつねにミスター・ホームズと呼んでください」と叱責された。二〇一〇年にBBCが現代版ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』の放映を開始した時、変わったのは相棒たる医師に対する探偵の関係性だけでなく、彼が本来の時代から自由になったことが新しかったわけでもなかった(それぞれの時代がホームズ像を持ち、ブレット以前には、大半のホームズ映画が「現代化」されていた)。『SHERLOCK/シャーロック』の世界は、原作と原作者が存在しないパラレルワールドにほかならず、それをわれわれ視聴者は元の世界から覗き込む。言い換えれば、シャーロック・ホームズはフレームと化し、「終わらせる力」が原作だけに由来するようになった。原作というフレームを通して見さえすれば、それが世界のどこであろうと「シャーロックのいるロンドン」になる。したがって、二〇一六年までで本書がひとまず終わったあとの二〇一九年にフジテレビで放映された『シャーロック』が舞台を東京に移し、劇中から表面上シャーロック・ホームズやワトスンの名が消えて初めて、フレームは真に完成した。この新たな段階に至るまでの過程を語りきった本書は、大衆文化に関心がある者にとって必読である。(平山雄一監訳/ないとうふみこ・中村久里子訳)(いしばし・まさたか=立教大学観光学部准教授・フランス文学)
 
★マティアス・ボーストレム=作家、編集者、シャーロック・ホームズ研究家。ベイカー・ストリート・イレギュラーズに所属するシャーロキアンとして、三〇年にわたり精力的にホームズに関する執筆活動と、書籍の編集に従事している。一九七一年生。