夢見る帝国図書館
著 者:中島京子
出版社:文藝春秋
ISBN13:978-4-16-391020-8

帝国図書館と人間模様

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

石井昭 / TRC 最高顧問
週刊読書人2020年5月15日号(3339号)


この物語は25節に細かく分けられた帝国図書館(現在の国立国会図書館・湯島・上野時代・太平洋戦争終結まで)の歴史と、「わたし」と喜和子さんと名乗る初老の女性との交流を中心とする現代の人間模様の詳細が交互に進行する構成になっている。
主に上野公園界隈から谷中にかけての話だから、何年か前までは僕の好きな散歩コースであり、頭の中で整理しやすい話だった。もちろん国際子ども図書館もそこにある。
 
近代国家としての日本が持つべき国立図書館の設立は、三度も洋行した福沢諭吉の一言から始まり、文部省が名誉にかけて上野の山に帝国図書館を開くまで、明治5年あたりから明治39年までの詳細な歴史が、時には帝国図書館自身が擬人化され、たとえば明治19年から利用者だった樋口一葉に、図書館自身が恋をする記述になったりする。それは日常的にお金に悩まされ続けた彼女の苦労と本に対する執着の二点でまさに同志的であっただけでなく、彼女がひと際美しかったからだろう。一葉は明治29年11月23日24歳で死去しているため短い間ではあったけれど。
 
帝国図書館設立案は翌年4月に議会両院を通過し欧米なみの規模を約束されたものの実際には日露戦争のため予算を半減され、方形の原設計のうち、東側ブロックのみの着工に終わっている。
 
しかしながらその間この図書館に通い詰め名を成した文人作家は、夏目漱石・永井荷風・森鷗外を初めとし、谷崎潤一郎・芥川龍之介・菊池寛・和辻哲郎等々、さらには吉屋信子・宮本百合子・林芙美子等の女流作家もおり、簡潔だが詳細にこれらの事実が、図書館がいかに近代国家の源泉であるかを立証している。
 
もう一つの物語は、現代のある日「わたし」が上野公園のベンチで会った「喜和子」と名乗るチョット不思議なしかし図書館大好きな初老の女性とその仲間たち、本好きのホームレス、定年過ぎの大学教授、古書店の主人、女装趣味の芸大生などとの交流の物語である。
 
話は終戦直後の上野から始まる。戦後のドサクサの象徴のように家を失った人々の掘立小屋や青いテントがひしめいていて、小さい子どもの喜和子さんは、上野駅の雑踏のなかで迷子になり二人の見知らぬお兄さんに拾われて彼らと暮らしていた頃の混乱した記憶がある。後に判ることだが、大きい兄さんは城内亮平という名で「としょかんのこじ」という童話を残しているらしい。
 
喜和子さんは「わたし」に『夢見る帝国図書館』という小説を書くようにと頼み「わたし」も曖昧に引き受けるのだ。 
戦後の復興が進むにつれて上野界隈の景色は変わっていくが、僕が十年ぐらい前までよく散歩したコースでも公園の東端にある東京国立博物館の前の広い通りを渡った公園の一番西の端あたりにはその青いテントがまだいくつか残っていて、噴水のある池の回りのベンチは中央が板で仕切られていて横に寝ることはできない。それはひどく意地悪な惜置に思えたが一方ホームレス達は意外に組織されていて、日曜の朝など集ってリーダーが訓辞をするような光景も見かけたものだ。
 
「わたし」がしばらく会わないうちに喜和子さんは病気で入院し、住んでいた小さな2階家は地上げで更地に変わり喜和子さんは老人ホームに入っている。


その手続きのあれやこれやのなかで「わたし」は喜和子さんが実は郷里の宮崎で結婚していたことがあり娘がいる事を知る。喜和子さんが上野で知らない二人のお兄さんと暮らしたのも事実らしく、本人が書き残した当時の生活の記録は、大きい兄さんの背中のリュックサックに入って帝国図書館に通う毎日を楽しそうに伝えている。そんな夢のような生活を送っていた喜和子さんを、探し当てた両親が宮崎へ連れて帰ったらしい。結婚後の喜和子さんは家族と全く馴染めず、とうとう娘を残して一人家を出て(実は父の死後いくつもの身寄りを転々としたこともわかる)大好きな上野に帰り一人で谷中の小さな家で暮らしていたのだろう。
 
このあたりから物語は日本の「女性の自立」がテーマになる。宮崎の裕福な実家で育った喜和子さんの孫にあたる紗都さんも、封建的で窮屈な家族がイヤで勝手に家を出て喜和子さんを頼ったが、励まされて一人東北の全寮制高校を卒業し仙台で技能的な職業に就いていることを「わたし」は知ることになり、彼女とも姉妹のような交際が始まる。 
 
一方、病気が進んだ喜和子さんは「わたし」に死後の散骨の希望を伝える。
 
しばらくして、「わたし」は喜和子さんの実家から正式な「散骨式の招待状」を受け取り、散骨は無事終わる。旧家のしきたりも少しずつ変わったようだ。
 
昭和21年2月4日、占領軍総司令部民政局所属、ユダヤ系アメリカ人の婦人将校ベアテ・シロタが、占領下にあった帝国図書館にやってくる。彼女の父は世界的ピアニストのレオ・シロタで、戦前、東京音楽学校教授の山田耕作の懇請を受けピアノ科の教授として日本に滞在していた。そのため娘のベアテは5歳から15歳で単身米国留学するまで、上野の帝国図書館をしばしば利用していたのだ。
 
彼女は、司書の了解を得て書庫に入り、憲法に関するあらゆる資料を借りだす。手続きをしながら、彼女は司書達に「キノコがいっぱい採れたわ」と日本語で笑う。ベアテは新憲法GHQ草案の「人権に関する委員」の一人だったのだ。
 
少女期を日本で過ごし「個人」という概念のないこの国で、女たちがほとんど何の権利もなく、成人男子と明らかに差別されている実態をベアテはよく知っており、仲良しだった女中の美代ちゃんのためにも「この国の女は男とまったく平等だ」と書くことを誓う。かくして新憲法のGHQ草案は日本政府の手に渡り、「男女平等」は新憲法前文に書き込まれることになる。
 
最終章、小さかった喜和子さんの『夢見る帝国図書館』はその発端を明かす。