ジャンセニスム 生成する異端 近世フランスにおける宗教と政治
著 者:御園敬介
出版社:慶應義塾大学出版会
ISBN13:978-4-7664-2653-3

新しい展望を開く独創的な労作

精緻な跡付けからジャンセニスム論争に新しい光を当てる

塩川徹也 / 東京大学名誉教授・フランス文学
週刊読書人2020年5月15日号(3339号)


ジャンセニスムは日本ではあまり知られていないが、アンシャン・レジーム期のフランスにおける最大の宗教問題である。そしてその震源地と見なされたポール・ロワイヤルという宗教集団は、十七世紀のカトリック改革の一翼を担ったばかりでなく、その関係者の中から、『パンセ』の作者パスカル、劇作家のラシーヌ、画家のフィリップ・ド・シャンパーニュのような一流の文学者、思想家、芸術家が輩出し、フランス古典文化の洗練と完成に重要な寄与をなし、おびただしい考察と議論の対象となってきた。それにもかかわらず、ジャンセニスムとは何か、そこで何が争われていたのかという問題は、長年の議論にもかかわらず明瞭にならず、その研究は本場のフランスにおいても行き詰まりの様相を呈していた。
 
ジャンセニスムは、ローマ・カトリック教会の公式見解によれば、ジャンセニウスあるいはヤンセン(一五八五—一六三八)というフランドルの神学者によって提唱された、神の恩寵と人間の自由意志との関係をめぐる異端学説である。それだけのことなら、その是非についての見解の相違はともかく、対象の輪郭ははっきりしている。しかしいかなる個人と集団がそれを支持したのか、そして教会そして世俗の権力は支持者に対していかなる態度を取ったのかと問い始めると、問題は迷路に入っていく。まず、ジャンセニスムには、それを公然と支持する引受け手がいない。異端宣告に陰に陽に抵抗した勢力は確かに存在し、「ジャンセニスト」と呼ばれたが、当事者たちはその呼称を拒否し、ジャンセニスムは想像上の異端であると主張した。彼らに言わせれば、ジャンセニウスの名において断罪された学説と彼自身の学説――彼の死後出版された『アウグスティヌス』と題する大著で主張されている学説――とは別物であり、後者は、「恩寵博士」として教会で尊敬される聖アウグスティヌスの衣鉢を伝える正統的な学説なのである。ちなみにジャンセニウスその人は、司教として教会の交わりのうちに亡くなり、自らの恩寵論の是非については教会の判定に服するという趣旨の遺言を残しているので、教会の観点からしても異端者ではない。そうだとすれば、ジャンセニストのセクトはそもそも存在するはずがないというのである。
 
しかし異端に実体がないとすれば、異端者の摘発も弾圧もできないことになる。ところが教会当局(ローマ教皇庁とフランス聖職者会議)が世俗の権力と協力して「ジャンセニスト」を弾圧したのは事実であり、またそれに対する抵抗運動も現実に存在した。それは、教会当局が、ジャンセニスムの異端宣告において断罪された恩寵論は、ジャンセニウスの思想そのものであるという新たな決定を下し、それを踏まえて、個々の聖職者にその決定に従う旨の意思表示を宣誓の形で要求することによって、ジャンセニストをあぶりだすという政策を取ったからである。こうして異端追及の標的は、抽象的な学説からそれを支持する生身の人間集団に転換するが、そこでジャンセニスムの拠点として矢面に立ったのがポール・ロワイヤルであった。
 
従来のジャンセニスム研究は、理論面では恩寵論、歴史面ではポール・ロワイヤルの観点からなされるのが大勢であった。純粋な信仰を実践し、優れた人材を擁する宗教集団が聖俗の権力に毅然として立ち向かい、結局は滅びていく姿が、今日に至るまで人々の共感と同情を誘ったからである。しかしながらジャンセニスムが想像上の異端であるという立場を取るかぎり、ジャンセニスムの弾圧とそれに対する抵抗が、姿かたちを変えながらフランス革命の時期まで続いたことの説明がつかない。
 
御園敬介氏の新著『ジャンセニスム 生成する異端』は、考察の視点を弾圧される側から弾圧する側に転じることによって、ジャンセニスム研究に新しい展望を開いた、真に独創的な労作である。本書は、教会権力がどのように異端の内実を徐々に練り上げ、それに応じて異端者のセクトを特定する手立てを考案していったか、そして迫害される側はそれに直面する過程で、いかなる抵抗の理論を編み出していったかを、徹底的な文献調査に基づいて、精緻に跡付ける。それを通じて、近世フランスにおける宗教と政治の関係が具体的事例に即して活写されると同時に、ジャンセニスム論争の歴史的・思想的意義に新しい光が当てられる。御園氏によれば、その争点は、出発点においては恩寵論であったとはいえ、次第に教会(組織)論上の問題に転移した。すなわち、信仰に関する教会の決定は不謬であるか否か、それに対して疑念を抱く信者はいかに振舞えばよいのか、逆に教会はそのような信者を許容すべきか否か、要するに、組織の不謬性、組織のメンバーの良心の自由、そして寛容の問題が、ジャンセニスムをめぐって争われていたのである。一見古めかしいキリスト教の神学論争も、それを徹底的に掘り下げれば、今日の日本でも他人事ではない問題に通じていることが見えてくる。本書は、きわめて高度な専門書であるが、その構成と立論は明快で、専門外の読者でも面白く読める。専門性と一般性を兼備した画期的な業績の出現に喝采を送りたい。(しおかわ・てつや=東京大学名誉教授・フランス文学)
 
★みその・けいすけ=慶應義塾大学商学部准教授・近世フランス思想史。論文に「「ジャンセニスム」を語ることは可能か」など。