統計の歴史
著 者:オリヴィエ・レイ
出版社:原書房
ISBN13:978-4-562-05741-2

世界が数字となっていった歴史

国力測定、熱力学、そして文学

森元孝 / 社会学者・早稲田大学文化構想学部教授
週刊読書人2020年5月15日号(3339号)


著者は、国立エリート大学校エコール・ポリテクニックでの数学教授を経て、現在パリ第一大学で哲学を講じている。本書から、この人のあらゆるところにまで行き渡る深く広い教養と明晰な論理に羨ましさを感じた。
 
「統計の歴史」というタイトルで、ヨーロッパ絶対王政から近代国家へと整備されていく途中、まずはその国の人口数の把握、国家の見取り図が最初は論文様式で、後にはそのイメージが数表とグラフで描かれたこと、ドイツ語「統計(Statistik)」にはラテン語「国家(status)」とともに、「目録」「見取り図」という意味も含まれていたこと、そしてウィリアム・ペティによる「政治算術」誕生から、アドルフ・ケトレーの「社会物理学」と「平均人」へ。さらにデュルケームの「社会学」へと。
 
あるいはマルサス「人口論」をきっかけに、経済社会成長の条件論へと変転していった社会経済学成立史。さらには天然痘予防をめぐるベルヌーイと、ダランベール、ディドロらの論議と、ワクチン接種という医療統計の成果についてなど、これまでそれぞれ個別に類似の書物がなかったわけではないが、体系的な連関を描いたところに、著者の驚嘆すべき博学さが輝いている。
 
社会科学における統計の誕生が、とりわけ正規分布における平均に着目したケトレーに代表されるのに対して、ひとつはフランシス・ゴルトンの進化論と優生学、今ひとつはトムソン、ジュール、クラジウス、マクスウェル、ボルツマンと連なる気体力学、熱力学では、むしろ確率分布そのものへの注目となり、高度な数学世界への道につながっていった。ゴルトン以降のピアソンやフィッシャー、あるいは熱力学と統計物理の発展史についてもすでに書物はあるが、社会科学における生成史との連接を描き出している本書から教えられることは多い。
 
統計学が、数学の一分野というよりは、歴史的にはその逆であったこと、そしてなぜに数学と密接になっていったか、そして熱力学での展開が、今一度、経済学、通信工学へ再帰していくことについても、著者の明快な整理が教えてくれる。
 
しかしながら、本書のさらなるすごさは、都市衛生を主題化する時代に、市民と社会を描いた文学者たち、バルザック、スタンダール、フロベールの諸作品に見える統計、とりわけバルザックの膨大な作品群が統計の知見なしにはありえなかったことについてまで、詳細に掘り出していることだろう。これを統計史に結びつけた類書はないだろう。
 
原題は、Quand le monde s'est fait nombreとあり、「世界が数字になったとき」ということだろう。本書がたんなる『統計学史』ではなく、たいへん優れた市民社会批判の展開だということでもある。
 
ヘーゲル『精神現象学』にある、いわゆる相互承認論についてもはっきり書いているが、それが教えてくれることは、例えば二〇世紀を代表するユルゲン・ハーバマスのような哲学者は、これを近代生成の肯定すべき前提としたが、実は市民社会のいかがわしさだったということである。
 
統計を嫌い、数字にされることを怖れる人たちも、実は数字の評価を裏では大いに期待している。偏差値を批判するが実は大好きな日本人。文科省の数値化を批判するが、文科省からの科学研究費交付額を見て胸をなで下ろす研究者。そういうアンヴィバレンツが、相互承認論ということだ。
 
世界の職業ランキングによると、一位「データ・サイエンティスト」、二位「スタティスティッシャン(統計学者)」だそうで、日本でも、データサイエンスを習得させる大学院プログラムが盛況だ。そうした人材が育つことは喜ばしいことかもしれぬが、そういう人たちこそ、そもそも「統計」とは何であるのかという問いに十分応えるための広く厚い教養を、ぜひ本書を読み通して身につけてほしいと思った。(原俊彦監修、池畑奈央子監訳、柴田淑子・小林重裕・伊礼規与美訳)(もり・もとたか=社会学者・早稲田大学文化構想学部教授)
 
★オリヴィエ・レイ=フランスの数学者・哲学者・エッセイスト。一九八六年にエコール・ポリテクニック卒業後、CNRS(国立科学センター)の数学部門などに所属。専門は非線形偏微分方程式。現在はパリ第一大学で哲学を教える。一九六四年生。