詩記列伝序説
著 者:室井光広
出版社:双子のライオン堂
ISBN13:978-4-910144-01-6

「世界劇場」で正しく「不安」を学ぶ

読むことに憑かれた「信者」の最後の信仰告白の書

『詩記列伝序説』/『多和田葉子ノート』

川口好美 / 文芸評論家
週刊読書人2020年5月22日号(3340号)


室井光広氏を紹介するのにどんな言葉がふさわしいかと思い悩み、〈類稀な〝思想詩エッセイ〟の書き手〉などとノートに書きつけてみたものの、想像の中で氏に「その〈書き手〉というのがぞっとしないね……」とたしなめられる。氏は愛惜するボルヘスの詩の一節を、あらためてわたしに読んで聴かせる。「認めたページの自慢は余人に任せよう。/読んできた書物こそわたしは誇りたい。」 氏はたしかに、読者として生き、読者として死んだ。それが若年時からの望みであり、望みは見事に果たされたのだ。わたしは〈書き手〉として称揚することを諦め、氏自身による紹介の言葉――『詩記列伝序説』序章の題に用いられている――を書き写して満足する。曰く、「〈読者教〉信者」。
 
氏は癌治療による入院中も病室で本書の原稿を磨きつづけていたが、昨年九月末、完成を待たずに亡くなってしまった。二冊は遺著となった。奥付の発行日(二〇二〇年三月二十三日=多和田葉子さんの還暦の誕生日)とじっさいの発行日にズレがあるが、著者の当初からの意志を尊重しそのままになっている。編集・装丁の実務を担った髙林昭太さんは、著者の郷里である南会津の小さな集落や晩年すみかとした大磯の浜辺を何度も丹念に歩きまわって、本のデザインを決められたそうだ。版元は書肆「双子のライオン堂」。氏の教え子でもある社主竹田信弥さんは先が見通せない困難な状況の中刊行までこぎつけ、氏(師)との約束を果たされた。本書は、読むことに憑かれた「信者」の最後の信仰告白の書にふさわしく、文字どおり〝有難い〟出来事の積み重なりの結果成ったものである。
 
山を下り〈野〉に出でよ。そこに浮び上がる「読みの世界劇場」で正しく「不安」を学べ――。『詩記列伝序説』をモットーふうに要約してみればこうなる。
 
下山とは、直接的には、あの3・11を機に氏が大学の教員を辞し、あらゆる商業ジャーナリズムと縁を切った事実を指す。だが『多和田葉子ノート』に収められた対談中の「山を下りて終わりたい、チャラにしたいという見果てぬ夢があって」という語り口が如実に示すように、それはたんに隠棲すればすむような話ではありえなかった。氏にとって〝下りる〟ことは「闇自体を自分で手作りし」、おのれの全実存を「闇」と一致させることを意味していたからだ。このとびきり困難な、しかし希望に満ちた手仕事としての闇落ち(?)への理解を助けてくれそうな一節を『序説』の悼尾を飾るエッセイから前後の文脈にはふれずに書き写しておきたい。「何のために?正しい不安という「最高のもの」を学ぶために、である。〈根底に向って没落する〉実存の〝落ちきり〟プロジェクトともいうべきこの「冒険の旅」をやめると、自分が「だめになってしまう」ことを絶望的な「困難(ノート)」に対処する「必要(ノート)」に迫られた〈ノート作家〉は本能的に知りぬいていた」。
 
デビュー以来ボルヘスをはじめとする海外作家の反復読みを実践してきた氏はある日、柳田国男とアプト式列車に乗って下山することを決意する。何度も峠を越え、ついに〈野〉に出た……。氏の『柳田国男の話』から教えられたことだが、開けた平坦な土地という現在的イメージとは異なり、もともと〈野〉は山の裾野、緩傾斜の地帯を意味する日本語だったそうだ。人間を拒絶する厳しい山の自然と、安寧な暮らしを許す平野。両者の中間領域としての〈野〉は『遠野物語』に顕著なように、国家的神話とは一線を画す民衆的メルヘンの母胎だった。これを詩的に拡大解釈し、〝あいだ〟としての〈野〉は「闇」が息づくことの可能な稀有な場所でありつづけてきた、と言い換えてもよいだろう。
 
〈野〉にからだを横たえると、夜空にはベンヤミン、カフカ、キルケゴールという〈ノート作家〉=「非商業系著作家」たちが形作る「〈冬の大三角〉座」がしるく浮き立っている。非在の「読みの世界劇場」の観客になり遂せた氏は、濃密さをます闇の中、分析も解釈もせず、繰り返し読んだテクストをあらためて受け取り直す。何のために?「正しい不安という「最高のもの」を学ぶために」。なぜ「不安」を捨てたり解消したりするのではなく、学ばなければならないのか。学ぶとは、正しい愛し方を知ることだ。配達不能郵便(デッド・レター)のように生に積み重なり、わたしを疲弊させる無数の小さな「不安」たち。それらの愛し方さえわかれば、それらが神話的に巨大な「不安」の物語として暴力的に統合されてしまう前に、あいかわらず小さく無意味だがしかし希望を孕んだ無数の手紙としててんでに煌めき出し、いつのまにかまったくあたらしい物語=歴史に反転しだれかに届く可能性もゼロではない。氏にとって読むことは、そのわずかな可能性に賭けることだった。氏が『序説』の最後に引用しているベンヤミンの言葉はこうだ――「希望なき人々のためにのみ、われわれには希望が与えられている」。 
 
本書に収められたエッセイの大部分を雑誌掲載時に読んでいたが、今次刊行された本で通読すると、一つ一つの言葉がいいがたい純度を帯びて、一層心身に沁み渡るように感じられた。今、わたし(たち)が晦い「不安」のなかに在ることと関係しているのかもしれない。本稿で多く言及したエッセイ「〈冬の大三角〉座で正しく不安を学ぶ」は震災への遅ればせながらの応答として書かれたものだ。氏のテクストは「不安」とともに生きざるをえないわたし(たち)にとって、これからも希望の書、抵抗の書でありつづけるだろう。キルケゴールについてのカフカの言葉をもどいた氏の言葉をさらにもどいて、わたしはつぶやく。本稿の読者がカフカらと同じ星座に属する非商業的著作家の手になる二冊の本を読んでくれるなら無上にうれしい……と。
(かわぐち・よしみ=文芸評論家)
 
★むろい・みつひろ(一九五五―二〇一九)=小説家・文芸評論家。一九八八年、ボルヘス論「零の力」で群像新人文学賞。著書に『おどるでく』(第一一一回芥川龍之介賞)など。文芸雑誌「てんでんこ」を創刊し第一二号まで刊行。二〇一九年急逝。享年六十四。