主は偕にあり 田中遵聖説教集
著 者:田中遵聖
出版社:新教出版社
ISBN13:978-4-400-51763-4

神を直接に「受け」ることの重要性

近代日本のキリスト者の生を語る試み

星野靖二 / 國學院大學准教授・近代日本宗教史
週刊読書人2020年5月22日号(3340号)


本書は、その後半生において広島の呉で「アサ会」という独自のキリスト教教会を牧した田中遵聖の説教集である。もともと一九七七年に同教会から出された説教集の復刊であり、復刊に際して写真家である神藏美子による解説が付されている。
 
田中は、一九一二年にシアトルの日本人組合教会の牧師で、ユニテリアンであった久布白直勝から洗礼を受け、帰国後の一九一六年にバプテストの東京学院(現、関東学院)神学部に学び、卒業して牧師となった。その後信仰について苦悶した時期を経て、一九二七年に「主の御支えを強く感ぜしめら」れ、バプテストの教会を辞して独立伝道者となり、翌年福岡県八幡においてアサ会を起こし、更にその翌年呉に移住し、同地で活動することになる。
 
これまで日本のキリスト教史研究において、田中とアサ会が十分に研究されてきたわけではなく、本書も伝記的な記述や歴史的な考察を主眼としたものではない。しかし、田中の息子である小実昌が作家となり、その著作『アメン父』や『ポロポロ』などにおいて、父がどのようにキリスト者として生きていたのかについて触れており、田中はむしろそれらによって知られている面がある。本書を小実昌の著作と併せ読むこともできるだろう。
 
小実昌は、父と「アサ会」の人々について、しばしば言葉にならないことをさけんだり、つぶやいたりしていたとし、それを「異言」という語で説明することもなく「ただ、神をさんびさせられて」いたと書いた(『ポロポロ』)。本書に収められた説教二八編のほとんどは、田中が没する前年の一九五七年のものであり、当時の田中の肉声が感じられるような言葉づかいで、聖霊の働きにおいて神を直接に「受け」ることの重要性を繰り返し説いている。
 
そもそもアサ会の「アサ」という語も、本書の中ではあまり説明されていないが、田中没後に後を継いだ伊藤八郎はこれを「キリストの霊」(『日本キリスト教歴史大事典』)とし、生前の田中が「アサの名は、宗教は最初から聖霊の光りに始まるべきことを示したもの」(『呉キリスト教史』)と説いていたと振り返っている。
 
本書の説教中にも「ペンテコステ」や「神秘体験」といった語が用いられているように、神学の訓練を受けた田中が、それらの概念を知らなかったというのではもちろん無い。しかし田中は、そのような語を用いることによって失われてしまう何かをどうにかして語ろうとしていたのであり、もどかしさを感じながら、あえて「アサ」という聞き慣れない語を用いていたように思われる。
 
かくして、田中においてキリスト教とは、アサを受けること、「イエス様とどこまでも一つにされてゆく。神の憐みの中におかれる」(一八二頁)ことであるとされる。更に、「主は偕にあり」とあえて「偕」を用いているように、我が神と共にあるとする個の傲慢さは退けられ、神と皆は偕にあるとして、群れ全体がただひたすらに神の前に謙遜して慎ましく「受け」るのみであることが説かれているのである。
 
このように本書は、近代日本においてキリスト者として生きるということを何とかして言葉において語ろうとした一つの興味深い試みを示している。しかし、端的にはアサなるものが、文脈と場を共有していない読者にどこまで腑に落ちるものであるかという疑念が拭えないように、田中が苦心して語り起こそうとしていたものは、原理的に体系化や組織化を拒むものでもあった。解説で触れられているように、呉の「アサ会」は現在活動していないとのことであり、本書は図らずも田中のようなキリスト者としての生が、どのように継承されうるのかという問題をも読者に提示しているように思われる。
 
なお、「アサ会」は戦後に「アメンの友」として宗教法人化されたが、この法人自体は二〇一二年に改称され、その後本拠地を呉から移転させて現存している。しかし、経緯から見てこの後継法人は田中遵聖のアサ会とはほぼ無関係であるように思われる。蛇足ではあるが追記しておく。(神藏美子解説)(ほしの・せいじ=國學院大學准教授・近代日本宗教史)
 
★たなか・じゅんせい(一八八五~一九五八)=牧師。本名・田中種助。一九二八年に福岡・八幡山中で「アサ会」を立ち上げたのち、呉にて伝道活動に従事した。