大正デモクラットの精神史 東アジアにおける「知識人」の誕生
著 者:武藤秀太郎
出版社:慶應義塾大学出版会
ISBN13:978-4-7664-2646-5

東アジア思想史の壮大さと困難さ

言論人のネットワークを可視化する

藤村一郎 / 鹿児島大学准教授・政治学
週刊読書人2020年5月22日号(3340号)


歴史上の人的ネットワークを解明する際に対象とする人物は多い方が良いだろう。実は思想史研究者はこの種の分析を不得手とする。というのも分析対象を一人に決めこんで、人物の思想に沈潜することが多いからだ。しかし、本書は吉野作造を皮切りに国境を超えた約百年前の知識人らの活動をうまく捉えている。
 
本書には「頂点的思想家」という表現がある。イメージとしては、ちょうど東アジアの言論界に巨大な雲がさしかかり、有名人として雲上に少しだけ頭を出している言論人たちを指している感じだ。「頂点的思想家」たちは遠距離にありながら、サミット同士で国境を超えた知的交流をもっていたようだ。本書の特徴は、まさにこの部分を捉えようとした点にある。
 
実は「頂点的思想家」は雲に届きそうな脈々と連なる山脈の一部としてそびえ立ち、雲下に裾野もある。従来の各国政治思想史とはおそらく一際目立つ山頂、あるいは山脈全体についての生成過程や特徴をつかもうとする学問だと言えるだろう。だが、この手法では雲上で何が会話されているのか理解できない。この意味で本書は新たなアプローチに基づいていると言えるだろう。さらに、従来の近代政治思想史では欧州からの概念の輸入、換言すれば「高い」ところから「低い」ところへの思想の流れ方が焦点になりがちであった。しかし、本書では「高低」よりも、双方の発/受信が捉えられており、互いに影響しあっている点、キャッチボールが成立している点が見てとれる。主に取り上げられているのは、戦前期(第一部)では、吉野作造、福田徳三、河上肇、堀江帰一、張公権、今井嘉幸、李大釗、朝河貫一、胡適、戦後期(第二部)では小泉信三、高橋誠一郎らである。本書は以上の言論人のネットワークを可視化してくれる。
 
読了後に二点ほど著者に聞いてみたいことがうかんだ。第一は、「頂点的思想家」の交流チャンネルを通じて生まれたとされる「東アジアにおける『知識人』」界には、結局、どのような思想的特質があったのかという点である。第二は第一と接続するが、「東アジアにおける『知識人』」界というように空間を限る理由は何かという点である。前記言論人らは日中のみで知的交流を行なったわけではない。「東アジアにおける『知識人』」界にコミットした人物として、例えばプラグマティズムの泰斗J・デューイがいる。歴史家にはよく知られていることだが、デューイは一九一九年に来日し、東京帝大で"Reconstruction of Philosophy"を講演した。吉野作造は『日記』で述べているように講演の実施に関与している。デューイは自著の中で「黎明会」を"The Dawn"として紹介しているほど吉野らとは交流していた。しかもデューイは四月末に中国へ渡って五四運動を目撃し、"The Student Revolt in China"を論じている。そのままデューイは二年も中国に滞在し、あちこちの大学で講演し、当然ながら中国言論人らと交流した。中国でデューイと最も関係が深いのは弟子であり、本書で一章分割かれている胡適である。残念ながら右の話は本書には出てこない。デューイの言動や影響は「東アジアにおける『知識人』」による「一連の思想運動」の中に、どのように組み入れ、理解すれば良いのであろうか。いずれにしても本書によって東アジアの知識人を考察するための足がかりをえたことに間違いない。(ふじむら・いちろう=鹿児島大学准教授・政治学)
 
★むとう・しゅうたろう=新潟大学准教授・社会思想史。著書に『「抗日」中国の起源』など。