〈色盲〉と近代 十九世紀における色彩秩序の再編成
著 者:馬場靖人
出版社:青弓社
ISBN13:978-4-7872-7429-8

複雑で豊かな「色盲」の世界

臨界点で顕われ出る、近代の「恩寵」

加藤有希子 / 埼玉大学准教授・表象文化論・視覚芸術史
週刊読書人2020年5月29日号(3341号)


「色盲」と言ったらコレだ!という力作が誕生した。強度緑色盲である著者の馬場は、一般的に「緑」は見たことがないはずと言われるのに、実際にはピカソの「青の時代」の絵画が、緑に見えた興味深い経験を語る。本書が哲学、生理学、美術史、政治史などに跨り示す「色盲」の世界は、複雑で豊かだ。
 
日本では、男性の約4・5%、女性の約0・6%が色盲者だと言われるが、それは本来、単なる色覚の差異であり、マイノリティの知覚でしかない。しかし本書が明らかにするように、近代という時代が「色盲」を発見し、そしてそれを能力の「欠如」とみなした。それ以前は、そもそも「色盲」という現象が存在することさえ知られていなかった。
 
「色盲」現象は、18世紀末から19世紀の生理学の発展により注目されるようになるが、この現象を政治的制度化に決定的に巻き込むのは、1875年にスウェーデンのラーゲンルルンダで起きた列車同士の正面衝突事故である。この事故を受けて、生理学者のフリーティヨフ・ホルムグレンが、事故の原因は、列車の運転士か機関士が色盲者だったために、「止まれ」の赤信号を「進め」の白信号と見間違え、その結果、事故が起きたと主張した。これをきっかけに、鉄道だけではなく、船舶や航空など、色彩信号を用いるあらゆる公共交通機関で色覚検査が義務付けられ、日本でも陸軍の軍医だった石原忍が、点描式の「石原表」を発案し、戦中戦後の色覚検査を制度化していった。
 
しかし本書が強調するように、この列車の運転士と機関士はともに事故で死亡しているため、事の真相を確かめる手段はない。この事故が起きたのは、雪の日の夜だったといい、また色盲者は赤と白を見分けられるとも言われる。つまり近代が生み出した色盲者の選別という壮大な制度は、いわば「空虚な中心」の周りに築かれた。
 
石原表の一つに、正常色覚者には「8」が見えるが、色盲者には「5」に見える図表がある。馬場は、それを見た際、「8」と「5」が交互に明滅しているように見えたことを告白している。石原表は我々が「8」か「5」かを告白することで「臣民」になることを促す制度だが、実際の色盲者の知覚は、そのような支配を受け入れない。
 
馬場は最後に、石原表をクロースアップすると、草間彌生やスーラの作品と酷似することを指摘する。これらの点描表象を「クロースアップすることにより、ゲシュタルトの安定性は崩壊し、数字は消滅し、自我は眩暈にも似た感覚のなかで、自己消滅する」、そして「色彩の揺動の可能性は、人間の視覚にはじめから内在している」と指摘するのである。近代は、「色盲」というマイノリティを洗い出し、制度的支配をし、そしてそれを極めることで「自己消滅」する可能性を秘めているのである。
 
そもそも啓蒙主義による個人主義の隆盛や、科学技術の発展による社会の高速化を経なければ、我々は「色盲」という現象自体に気づくことはなかった。「色盲」は、私たちが能力を最大化し、臨界点に生きるからこそ顕われ出る、近代の「恩寵」――例えば虹や彩雲――のような現象であることを本書は示してくれるのではないか。(かとう・ゆきこ=埼玉大学准教授・表象文化論・視覚芸術史)
 
★ばば・やすひと=早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員・科学思想史・メディア論・視覚文化論。論文に「「経験的=超越論的二重体」としての色盲者 J・シュティリングのカント主義的生理学と仮性同色表」など。