国家と教育 愛と怒りの人格形成
著 者:中嶋哲彦
出版社:青土社
ISBN13:978-4-7917-7255-1

《教育を受ける権利》宣言の書

利潤と競争主義への問いかけから新自由主義批判へ

前田年昭 / 組版・校正者、神戸芸術工科大学教員
週刊読書人2020年5月29日号(3341号)


本書は、二〇一〇年以降一〇年間の「国家」と「教育」をめぐる考察である。
 
著者・中嶋哲彦はまず、前提となる立場として、学問は「社会的諸事象の中から解決すべき問題を発見し、その本質を分析し、解決方法を提示する任務」(一〇頁)を持つと明言する。これはまた、「現代にあっても、学問・大学が大衆に対して敵対的な役割を果たしている現実」(二三六頁)に対する批判でもあり、立場は明快である。
 
著者はこの立場から、橋下・維新による大阪の教育「改革」を、「自らを政財界に売り込むための」「新自由主義教育改革の実験」だと断じ(一・二章)、維新が、政治介入を抑えるために戦後つくられた教育委員会を形骸化させ、首長の手に権力を集中してきた経緯を明らかにする(三・四章)。また、教育政策の分析にもとづき、安倍政権の性格を「新自由主義的国家改造」をめざす「国家主義者の政権」と結論づけ(五~七章)、選挙権年齢の一八歳への引き下げは、政治活動の制度的政治参加(選挙!)への囲い込みだと喝破する(八~一〇章)。大学・高等教育「改革」批判(一一~一四章)、子どもの貧困と自己責任論批判(一五~一七章)もあわせ、本書は、今日の権力支配が「人間を『人材』という経済的価値基準でしか捉えようとせず、公教育制度を競争力人材の育成装置に変質させようとしている」現実に対する歴史的批判の集成である。
 
本書が私たちに教える本質と教訓はどこにあるのか。
 
第一に、二〇一〇年からの一〇年は、新自由主義教育「改革」の一〇年だったという歴史認識である。著者が指摘するとおり、「自由」とは経済活動の自由という磁場の中での選択の自由でしかない。そして磁場とは具体的に、評価基準と達成目標の強制による競争原理、予算削減による教育財政欠乏と民間委託への誘導、利潤追求の論理による「選択の自由」という市場原理――の三つを指す(プロローグ)。これらは、特定の首長による個別意志などではなく、より根底的に新自由主義という資本主義の意志、つまり社会制度がもたらす必然である。
 
第二に、新自由主義教育「改革」が、戦後社会運動の成果たる民主主義的改革を掘り崩していっているという重要な指摘である。権力の介入に対する防波堤の機能をもっていた教育委員会制度はいまや、風前の灯だ。競争原理をより強める悉皆式全国学力テストは、四〇年ぶりに二〇〇七年から導入され(途中二〇一〇~一二年民主党政権時には抽出式)実施され続けてきた。
 
第三に、教育は医療と同様、あらゆる権力、あらゆる利潤から独立したところで行われなければならないとの基本的な見解である。旭川学力テスト事件の最高裁判決(一九七六年)が、国家の教育権と国民の教育権の折衷説に立ちながらも、国家の教育権について歯止めをかけようとしたものだった背景には、学力テスト反対運動の昂揚があった。著者が教育委員として参画した愛知県犬山市は二〇〇七・〇八年、教育委員会の合議にもとづき全国学力テスト不参加を貫いた。加えて言えば、昨二〇一九年暮れに高知県土佐町議会が「全国学力テストを抽出式に」と決議したこと、今、一部現場の教師たちが自粛と休校の例外なき一斉実施に抗して独自に給食を配るなど個別の工夫と闘いを始めていることは、これに連なる次代の希望の芽と、評者の目にうつる。
 
そして最後に、「国家」の新自由主義教育「改革」を後押しし、教育を受ける権利を空洞化させつつあるのは他でもなく「国民」である私たちだという指摘は、何より大切である。「学校は競争の場であり、教育は競争を通じて自らの生存基盤を確保する手段」だという思い込み。「競争が子どもの人間形成をゆがめることはわかっていても、親たちは競争制度の中で勝ち残ることに子どもの生きる方途を見出さざるをえないと考えてしまう」(一六一頁)という逃れがたい意識は、貧困自己責任論に帰着し、《教育を受ける権利》を内側から掘り崩す。かくして、強い鶏は弱い鶏をつつき、弱い鶏はより弱い鶏をつつき、より弱い鶏は地面をつつく――パンデミック下、噴出した「いじめ」の構造は、私たちのなかに確かに育まれた奴隷精神を明るみに出した。今、パンデミックは、新自由主義のもたらす怖ろしさと共に、教育と医療はあらゆる権力や利潤から独立して行われなければならぬことを、私たちに教訓として教えつつある。
 
ひとは社会にでたら労働する権利があり、ここにひととしての本源的権利の柱がある。生産活動のためには、その社会と歴史の水準にみあった知識が必要である。教育の目的は、自然と社会、自分自身を変革するために必要な知識と力を学ぶことである。副題に「愛と怒りの人格形成」と記されたゆえんだ。
 
誰でもが「自分自身の世界を知り、歴史を書き綴る権利」を持つ。本書は、生きること、そのために学ぶこと、という教育の本質を根柢から新たに再定義した《教育を受ける権利》宣言の書である。(まえだ・としあき=組版・校正者、神戸芸術工科大学教員)
 
★なかじま・てつひこ=名古屋大学大学院教授、同教育学部附属中・高等学校長・教育行政学・教育法学。名古屋大学大学院博士後期課程単位等認定退学。著書に『教育の自由と自治の破壊は許しません。』など。一九五五年生。