生き続ける水俣病 漁村の社会学・医学的実証研究
著 者:井上ゆかり
出版社:藤原書店
ISBN13:978-4-86578-265-3

「水俣学」の最新の成果

人々を「分断」してゆくメカニズムを解明

姜信子 / 作家
週刊読書人2020年6月12日号(3343号)


まずは、本書の背景にある「水俣病被害」の現状の一端を見ておきたい。
 
二〇二〇年三月一三日、水俣病被害者互助会の未認定患者八人が国・熊本県・チッソを訴えた訴訟(第二世代国賠訴訟)において、福岡高裁は原告全員を水俣病とは認めないとした。原告は一九五三年~一九六〇年に生まれ、胎児性水俣病患者と同世代。しかも、水俣病研究の第一人者である原田正純医師によって水俣病と診断されていた。
 
水俣病の公式確認が一九五六年、水俣病の原因についての政府公式見解が出たのが一九六八年、そして第二世代国賠訴訟が起こされたのが、それから三九年後の二〇〇七年、その裁判も既に一三年が経過している。
 
この間、一貫して、「水俣病」の実態は見えにくく、わかりづらいものでありつづけた。それは、著者の言うとおり、被害者を「放置」しつづけた年月だった。
 
しかし、それは、いったいなぜ? いかにして? 
 
本書は、この状況を作り出してきた権力構造に迫るべく、水俣病の実態を「隠蔽」することをもって加害者側にとっての「解決」を図ろうとする国家権力を告発すべく、地道な実証研究を重ねたすえに世に送り出された。原田正純医師をはじめとする水俣病被害に真摯に向き合う人々が開いた「水俣学」の、最新の成果の一つともいうべき一書である。
 
水俣病には「権力的水俣病」と「実態的水俣病」があると著者は言う。水俣病患者になるには認定を申請し、行政側による認定審査を経なければならない。しかも、その認定基準は被害実態とは乖離している。その乖離の実状を、著者は、原田正純医師らによる医学的調査(一九七六)を三四年後に追跡調査することで明らかにする。さらには、認定されない被害に対してはこれまで各種救済手帳が交付されてきたのだが、つまり、「権力的水俣病」(認定された被害)と「実態的水俣」(実際の被害)の間には、水俣病被害隠蔽のための「救済」という仕掛けがあり、被害者を「手帳」へと誘導する力が強く働いていることもまた、著者の明示するところだ。
 
私たちが「水俣病」という名で国家によって見せられてきたのは、「実態的水俣病」を隠蔽し、排除したのちの「権力的水俣病」なのだ。しかも、恐ろしいことに、著者が解明を試みたこの極悪なメカニズムは、人々を見事に「分断」してゆく。被害者を分断し、放置する。被害者と被害者以外の者たちを分断し、都合の悪い事実を隠蔽する。
 
それだけに、「分断」の危機に揺らぎながらも、それを乗り越え、患者運動を先導する役割を果たした地域である女島を著者が研究の足場としたことは、大変意味深いことと思われる。女島には、網元―網子によって構成される「統」と呼ばれる強固なつながりが、おのずと分断に抗する力を持った「全村的協働性」があったのだ。
 
権力とは分断を企むものである。見まわせば、水俣、沖縄、福島、コロナ禍……、そのどれもが分断を病んでいるではないか。
 
私は、本書を、「水俣学」という場が育んだつながりの賜物として、繰り返し企まれる分断を越えゆく長く険しい道のりを照らす一つの灯として、読んだ。(きょう・のぶこ=作家)

★いのうえ・ゆかり=熊本学園大学水俣学研究センター研究員・同大学社会福祉学部非常勤講師。熊本学園大学大学院博士課程修了。博士(社会福祉学)。看護専門学校から病院勤務を経て、同大学大学院で学ぶ。著書に「権力に被害を叫ぶことからはじまる水俣病岩本美千代改題」(『いま何が問われているか――水俣病の歴史と現在』所収)。一九七三年生。