ストリートの美術 トゥオンブリからバンクシーまで
著 者:大山エンリコイサム
出版社:講談社
ISBN13:978-4-06-519518-5

転回するストリートの運動・感性

ストリート、現代美術を横断的に批評する

粟田大輔 / 美術批評
週刊読書人2020年6月19日号(3344号)


本書のスタンスは次の言葉にうかがえる。「本書はかくこと(writing)を運動と捉える」、「文章をかいて読むという運動は、ストリートアート、とくにエアロゾル・ライティングで、路上に名前をかき、消され、上書きするという運動と軌を一にする」。著者は自ら称する「クイックターン・ストラクチャー」(クイックターンはグラフィティ文化にみられる描線運動を指す)を軸に絵画、壁画作品を展開するアーティストである。本書には、こうしたストリートアート、グラフィティ文化に端をなす運動性が、数多の本を読み解き、かき換えていくといった読み手の感性、営為とアナロジーをもつことが謳われている(ただし著者は語源的な観点から、イタリア語で表面を引っ掻くといった行為を指すグラフィティという呼称を用いず、非接触型の描写方法であるエアロゾル・ライティングという呼称を用いている)。
  具体的に批評の対象となっているのは、フランシス・アリス、オキュパイ運動、シャルリーエブド事件、中国でのネイルハウス闘争、ゼロ年代のライブペインティング、サイ・トゥオンブリ、マルセル・デュシャン、ブータンのヒップホップ、消化器のヴァンダリズム、ファイブポインツ裁判など、ストリート文化や現代美術、アクティビズムに関するものだ。本書ではこれらが便宜上「都市」「美術」「ストリート」と章立てされているが、元々ひとつひとつの論考がウェブサイト、書籍、雑誌、新聞、研究冊子などさまざまな場、メディアにかき散らされているように、一貫しつつも変調していく分析、批評のリズムを転回するようにして体感することができる。加えて、著者自身の読み手としての読み解き、かき換え可能性を示唆するように、ロラン・バルト、スーザン・ソンタグ、ジョン・ケージなど先人たちの思考、哲学もまた編み込まれている。
  なかでも著者の立場を代替するようなかたちで取り上げられているのが、バンクシーだろう。昨年、東京都が「バンクシーの作品ではないか」として保護・公開することでも注目を浴びた彼の作品(?)に対し、「行政に保護されたストリートアートの野性喪失」といった批判がみられたが、著者はこうした批判を的外れとし、「制度的および非制度的な空間に自在に作品を拡散している越境性」にこそその出来事性の価値をみいだす。
  さいごに著者が本書でも触れている、木幡和枝さんの存在を記しておきたい。私自身、東京藝術大学でのアントニオ・ネグリ来日イベント(結局ネグリは来られなかったが)などを介し、木幡さんに接し、その言動、思想に大きな影響を受けた。彼女の活動は多岐にわたるが、とりわけ同時通訳をはじめとした翻訳といった営為は、本書のストリートの運動、感性と通じるものがある。木幡さんがこの世を去り、一年が経つが、彼女の思想、運動性は、著者をはじめ私のなかにまぎれもなく引き継がれている。(あわた・だいすけ=美術批評)

★おおやま・エンリコイサム=アーティスト。エアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ「クイックターン・ストラクチャー」を起点にメディアを横断する表現を展開し、現代美術の領域で注目される。ニューヨークを拠点とする。著書に『ストリートアートの素顔』など。一九八三年生。