高橋和巳論 宗教と文学の格闘的契り
著 者:清眞人
出版社:藤原書店
ISBN13:978-4-86578-263-9

戦後文学の系譜にある巨大な作家論

作品論と評伝と研究のトリアーデ、文学的人間との対話復活の狼煙

岡本勝人 / 詩人・文芸評論家
週刊読書人2020年6月19日号(3344号)


高橋和巳は、読まれることの少ない作家である。その文学を、もう一度、人間としての文学存在のありようから読み直してみたい。そこには、高橋和巳の文学にたいする指向変容がある。この世に生まれ、今生の巷に生きながら、自らが背負う出自のトポスと共苦とをみつめる。全共闘世代とともに散華した高橋和巳の文学と壮絶な死を通じて、ひとりの作家が語る文学と宗教にかかわりながら、読むことのなかに無言の追悼がある。
 
こうした時代に、まさに高橋和巳の指向変容となる大著が出版された。清眞人氏の『高橋和巳論宗教と文学の格闘的契り』である。すでに聖書研究からドストエフスキーやフロムに関する研究を経る清氏は、全共闘のひとりとして、人生とは何か、文学とは何か、政治とは何かを絶大な感化を受けた世代のひとりである。高橋和巳の存在との格闘には、これまでの高橋和巳論が見過ごしてきた宗教と文学の関係からの作品の綿密な考察と批評がある。そこでは、「高橋文学における宗教と文学との稀有な強度に達した緊張関係」の複雑系を内在的な問題として論証する。世直しの思想をもつ宗教には、救済要求である内部葛藤があると指摘する。キリスト教の共苦は、父権的・男性的な左翼思想の観念にたいする、母権的・女性的な宗教の立場からの批判である。それは、土俗的な日本の大衆に通底する宗教的心性でもあった。学生運動にまつわる問題には、観念としての「前衛者意識―怨恨的復讐心―権力欲望の暗き三位一体」の視座を投げる。時代のなかで、党派性の問題と分裂、テロやリンチ事件が、潜行した。登場人物の核に宗教的な心性を描く高橋和巳は、真摯に自己否定をして、自立の思想を説く。清氏は、こうした高橋和巳の作品を丹念に解析しながら、真継伸彦や高橋たか子が触れることのなかった「高橋和巳の宗教と文学」の関係性に、あるいは補論として高橋文学と永田洋子や絓秀実の同一性と差異に、独自の視点である「格闘的契り」の弁証法的な合一点を見定めようとしている。
 
高橋和巳は、大阪の貧しい土地の出自である。父の町工場のあった大阪は大空襲に遭い、焼け野原から四国へと学童疎開をした世代だ。天理教信者の母とジャイナ教に心酔する自らの精神の対位法には、敗北感が過った。終戦としての敗戦。戦後の左翼学生運動の廃墟。そこには、『捨子物語』としての敗戦が未だ決着のない満州国の問題系である『堕落』も、「死の哲学」としての特攻の問題系である『散華』も、戦後の革命の挫折を描いた『邪宗門』、『憂鬱なる党派』と私の故郷が舞台である『日本の悪霊』から架空の革命を通じた全共闘世代の挫折の思いが描かれていた。「高橋和巳の戦後性」とは、「「戦後」がかの《戦争》という「廃墟」の記憶をひたすらに《忘却》することのうちに進行することへの憎しみ」であると清氏は捉え、そこに高橋和巳の長編や中編の原動力があるとする。
 
高橋和巳は、全共闘世代から圧倒的に人気のある作家だった。当時の東大で最も読まれた作家である。『評伝高橋和巳』(川西政明)や『高橋和巳の思い出』(高橋たか子)、没後二五周年に刊行された「高橋和巳コレクション」が、その面影を今でも伝えて偲ぶ。当時は、三島由紀夫と並び評される作家である。京都大学の吉川幸次郎門下だった。立命館大学から明治大学を経て、最後は母校で「李商隠」の講義を行い、戦争責任を継承する学生運動とともに活動した。『悲の器』の作家としての華々しいデヴュー以来、戦争の申し子として、苦難に満ちた『現代の青春』を象徴する人物だった。いくつもの長編を同時に発表し、毎年出版を重ねた。書くことは、あまりにも理知的な理想と現実との格闘だった。阿修羅の苦行は、十年しか続かなかった。人は、その著作をみて、自殺と語る。
 
本著は、埴谷雄高などの戦後文学の系譜にある高橋和巳の巨大な作家論である。全体の構成は、「悲の器」を中心とする第一部。「救済と革命」に注視する第二部。「女たちの星座」の第三部の概要である。作品論と評伝と研究のトリアーデが、重層する文学世界を宗教との関係性で見事なまでに論理的に構成されている。これにより、高橋和巳に多面的な光が与えられた。そこには、自己否定と共苦とは何であり、想像力と私小説の統合による全体小説や、戦後文学の再考と民衆宗教が孕む国家の共同性と個人の自立思想の問題が、改めて、問い直されることになるだろう。
 
最後に、「女たちの星座」は、著者独自の重要な視座である。高橋文学のリアリティとして、共苦を含む宗教的な男女の吐息から捉えられた、イデオロギーでものをみない、文学的人間との対話の復活の狼煙があげられている。こうした清氏の内在的な視点から、「文学的人間と政治的人間との対話」や「宗教と文学」の問題が、現代社会における対幻想による救済の可能性のなかにみえてくるようだ。(おかもと・かつひと=詩人・文芸評論家)
 
★きよし・まひと=元近畿大学文芸学部教授。著書に『三島由紀夫におけるニーチェ』『サルトルの誕生』『大地と十字架』『聖書論Ⅰ・Ⅱ』『ドストエフスキーとキリスト教』『フロムと神秘主義』など。一九四九年生。