ひきこもりのライフストーリー
著 者:保坂渉
出版社:彩流社
ISBN13:978-4-7791-7107-9

一人ひとりの「生きづらさ」を注視

周囲の人の関わり方、多様な生き方を探る

関水徹平 / 立正大学社会福祉学部准教授・社会学
週刊読書人2020年6月19日号(3344号)


本書には、四名のひきこもり経験者が登場する。雅人さんは三〇代半ば。小学校時代からいじめを受け続け、高校を退学。その後のひきこもり生活は一三年におよぶ。精神科に八回入院、数か月間自宅のトイレに閉じこもって暮らしたこともある。現在はアルバイトをしながら実家で暮らしている。
 
四〇代後半の主婦・智子さんは、結婚・出産後に仕事と家事・育児に奮闘し続け、疲れ果ててひきこもり状態に。子どもとも離れ、実家で四年半を過ごしたのち、再び結婚生活に戻っている。だが、長男が中学三年生の時から本格的な不登校になり、ひきこもる生活が一四年間ほど続いているという。
 
三人目は、大学進学後にひきこもった、三〇代前半の和也さん。六年目に退学し、福祉系大学に編入。現在は、自分の経験を活かして、ひきこもり当事者のピアサポート活動をおこなっている。
 
四人目は、高校卒業後に入社した会社を、職場の人間関係から一〇年目に退職、その後ひきこもり状態になった島田誠さん。四〇代半ばの現在、生活保護を受給しながら、中高年ひきこもりのための居場所活動などを試みている。
 
著者は四人のライフストーリーにとくに解説を付け加えていない。彼・彼女たちの経験から何を受け取るかは読み手にゆだねられている。
 
私自身は、本書を読んで、ひきこもり問題の課題は、人が社会と関わる難しさをめぐる問題が家族の中に閉じてしまう構造にあるとあらためて感じた。ひきこもり状態にいたる経緯は一人ひとり違うが、学校に行きづらくなったり、働きづらくなったりしたとたん、家にいるしかなくなるという点は共通している。四人とも病院を受診しているが、診断名がついても、家にいるしかない状況は変わらない。学校・会社に戻ろうと試行錯誤を続けるが、それが果たせずに自己否定を深め、先が見えない状況の中、家族同士が傷つけ合ってしまう。
 
背景には、日本には働きづらさを抱える人が、一個人として利用できる生活支援がきわめて限られていることがある。無業者への支援制度(たとえば求職者支援制度)も、世帯収入・資産が一定以上あると利用できない。世帯収入・資産による利用制限は「世帯責任」を強いる。ありていに言えば、「家族で何とかしなさい」ということだ。また、生活保護制度は、家族・親族による扶養が(要件ではないものの)保護に優先すると規定している。
 
新型コロナウイルス感染症の問題で、世帯単位の社会保障の問題点が露わになった。特別定額給付金一〇万円について「申込者が世帯主のみに設定されるのはおかしい」と指摘されたが、実際に、ひきこもり状態の人が「お前は働いていないから」と親から給付金を渡されないケースも起きている。旧民法の「戸主」制度は七〇年以上前に廃止されたが、今日なお「世帯主」に世帯員を束ねる権限と責任を付与しているかのようだ。
 
一九九〇年代後半以降、企業による所得保障は縮小し、正社員の男性+専業主婦という生活保障モデルは、当たり前ではなくなっている。「世帯責任」を強調する社会保障制度と、働き方・家族の多様化との間のひずみは大きくなっている。その矛盾の表れのひとつが、ひきこもり問題なのだろう。
 
著者は何も解説を付け加えていないと述べた。だが、本書は、一人ひとりの「生きづらさ」を注視し、四人のひきこもり経験者たちが社会的標準に合わない自分、ままならない自分を受け入れ、そのような自分として生きていく静かな覚悟を描いて、各章を締めくくっている。そこには、多様な生き方を受け入れようとする著者のまなざしが透けている。各章を丹念に読むことで、個人と社会(家族、学校、職場、等々)の間にどのように生きづらさが生じているのか、家族や周囲の人々が本人にどう関わったらよいのかについてのヒントも得られるだろう。終章には、当事者団体「ひきこもりUX会議」代表理事の林恭子さんと著者の対談も収録されている。(せきみず・てっぺい=立正大学社会福祉学部准教授・社会学)
 
★ほさか・わたる=フリージャーナリスト。共同通信社で社会部記者、編集委員を務めた。著書に『虐待 沈黙を破った母親たち』、共著に『子どもの貧困連鎖』(池谷孝司との共著)など。一九五四年生。