ダンスは冒険である 身体の現在形
著 者:石井達朗
出版社:論創社
ISBN13:978-4-8460-1849-8

軽快な文章と舞踊文化への深い洞察

新しい世界が開く、ダンス鑑賞の素敵な指南書

立木燁子 / 舞踊評論家・ジャーナリスト
週刊読書人2020年6月26日号(3345号)


コンテンポラリーダンスの魅力を伝えるのは意外に難しい。演劇であれば、言葉があり、とりわけ物語のあるものであれば筋の流れに沿って鑑賞していけばそれなりの帰結に着地できる。その帰結が気に入らなくとも、一般的な解釈という枠内での安心感がある。
 
コンテンポラリーダンスの場合は、解釈の基準となる「定型」が取り払われたところから始まる。不安である。どう楽しめば良いのか。現代のダンスは、難しいとされる所以である。
 
しかし、ダンスは問いかける。型にはまった解釈は必要ですかと。今日のダンスを特徴づけるものは、発想の自由さと表現の多様性である。鑑賞の仕方は、観客個人に委ねられており、そこから作者と観客は自由につながっていけるのである。現代芸術をリードすると言われるコンテンポラリーダンスは、脱領域的に他の芸術領域との境界を浸蝕し、融けあい、時には激しい化学反応を起生させて新たな表現に挑んでいる。
 
そんなダンスの立ち位置と面白さを伝えてくれる好著が生まれた。タイトルの示す通り、『ダンスは冒険である』と著者はいう。好奇心を持って愉しみなさいと。慶應義塾大学で長く教鞭をとり、現在は舞踊評論家として意欲的に評論活動を展開している著者の舞台芸術への幅広い見識と的確な指摘が随所に光るダンス鑑賞への素敵な指南書である。時々に書かれた評論や随想などに加え、新たに執筆された文章を編んで構成されている本書は、どの章から読み始めてもダンスの多面的な表情を伝えてくれ、集中的に読む姿勢を要求しない気軽さがある。一方で、各章のテーマがコンテンポラリーダンスの舞台芸術における今日的な位置を的確に焙り出しており、そこに著者の面目躍如の趣がある。
 
ダンス全体を俯瞰しその思考の歴史的変遷を示す配慮が払われた構成となっている。身体を均一的で堅固な型に収めることに腐心したクラシック・バレエの美の様式から説き起こし、身体の解放と眼前に存在する〈今・此処〉を重視する身体の現前性へとむかった現代舞踊の流れを簡潔に説明してくれる。天上的な浮遊感を重視し上方を意識させた西欧的な舞踊観と重力を感じ大地に根ざすアジア的身体観をわかりやすく対比させてくれるのもいい。
 
なかで、やはり読み応えのあるのが第二章「舞踊批評の現在―〝いま〟を見つめて」であろう。そこには、著者が注目する優れた振付家達への作品評が収められており、分析の卓抜さが唸らせる。たとえば、ベルギーの鬼才、アラン・プラテルについての評論「受苦と救済のはざまで揺れるスペクタクル」では作品への批評を超えてプラテルという作家の精神のあり様に迫ろうとする意欲が窺える。
 
二〇世紀後半、日本の現代舞踊として世界的に評価された舞踏についても、著者はその黎明期より取材を重ね、舞踏の祖と称えられる土方巽、彼とともに舞踏を支えた大野一雄の芸風を対照的に記述しているのも興味深い。形=様式を探究した土方と形に捉われるのを嫌い流れるような即興舞踊で世界を魅了した大野一雄。舞踏という芸術形態の受容を考える上でも興味深い。著者が取材のなかで親交を深めた大野への評論は対象への敬意と愛情が感じられ特別のものとなっている。
 
後半には、著者と他評論家や舞踊家とのインタビューも収められており、著者の解説と対談での言葉が共振しダンスの思考を深めてくれるのも嬉しい。
 
文化人類学、民俗学の分野にも造詣が深い著者ならではの指摘が光るのは、欧米の演出家達にも影響を与えたインドの芸能、カターカリへの言及において、古典舞踊、クーリヤッタムとの比較に焦点をあてその違いを舞踊の視点から解説しているところである。汎アジア的な演劇の原点のひとつ、様式性の高いカターカリの演技形式の奥にさらに違う世界を広げて見せてくれるのだ。
 
ほかにも、サーカス芸についての記述「よみがえるサーカス」の一文も学びが多い。というのも、このところダンスに新風を吹き込んでいるのがサーカスで、特にフランスでは国立のサーカス学校の誕生もあり、フィリップ・ドゥクフレやヨアン・ブルジョワなど独自の空間感覚を活かした鬼才達の活躍が注目されるからだ。本書では曲馬芸をスピード感のあるスペクタクルとして披露し人気を高めた集団「ジンガロ」を率いる異色アーティスト、バルタバスとの交流が語られる。評論に加え紀行文的味わいもあり興味深い。
 
軽快な文章と舞踊文化への深い洞察力。新しい世界が開く格好の一冊と言えよう。(たちき・あきこ=舞踊評論家・ジャーナリスト)
 
★いしい・たつろう=舞踊評論家。慶應義塾大学名誉教授。著書に『身体の臨界点』『異装のセクシュアリティ』『アクロバットとダンス』など。