ニューヨーク・タイムズを守った男
著 者:デヴィッド・E・マクロー
出版社:毎日新聞出版
ISBN13:978-4-620-32622-1

政治権力と言論の自由の攻防戦の行方

トランプ政権下で真実にたどり着くために

別府三奈子 / 法政大学社会学部教授・メディア社会学
週刊読書人2020年6月26日号(3345号)


原題は、“Truth in Our Times–Inside the Fight for Press Freedom in the Age ofAlternative Facts”である。意味から辿れば、〝トランプ政権下で真実にたどり着くために—オルタナティブ・ファクト時代における言論の自由のための新聞社の戦い方〟あたりになるだろうか。
 
米国の新聞業界は、二十一世紀にはいりSNSの台頭で経営が圧迫され苦戦が続いた。今はだいぶ筋肉質になり、ジャーナリズムの新たな可能性を生み出してきている。本書は、ソーシャルメディアを使って自ら発信する大統領の、政治的圧力に対峙する編集局の内側を描いている。
 
本書の著者であるDavid E.McCraw氏は、ニューヨーク・タイムズ紙の編集局主任弁護士である。二〇〇二年から、スノーデンの暴露事件やトランプ氏の納税申告書をめぐる報道、ハリケーン・カトリーナ災害報道などで、タイムズの記者と情報源を法的訴訟から守ってきた。
 
地方紙であるニューヨーク・タイムズ紙の総発行部数は、約五〇〇万部(電子版を含む)。ニューヨーク州の人口はおよそ一九五〇万人である。日本の人口約一億二五〇〇万人を相手に、読売新聞が七九〇万部、朝日新聞が約五三〇万部(いずれも紙ベース)、東京新聞は関東全域でおよそ四十五万部。人々の暮らしに浸透している米国のジャーナリズムの存在感は、日本のそれを圧倒する。
 
トランプ陣営は、二〇一六年の大統領就任式参加者がオバマ政権より激減したことを伝えたニュースに対抗し、過去最高だと報道官が述べ、これがオルタナティブ・ファクトだと主張した。その後も一貫して、自分に批判的な記事を伝えるニュースメディアを、フェイクニュースをまきちらす国民の敵、と責める。
 
トランプ大統領は、自ら記者会見で記者を攻撃し質問させない、記者会見への出入りを禁ずる、大統領側が記者を指名する非公式記者会見(ギャグル)を設定する、自らのツイッターで批判者をブロックするなど、さまざまな方法で、あからさまに批判封じに動き続けている。
 
公人は私人より多くの権限とそれに見合う責任を負う。人々は言論の自由市場のなかで、もっとも適切な真理に到達できる。これらの考え方が米国の修正第一条の大前提だ。その前提が通じない最高権力者を相手に、新聞社の弁護士は情報自由法で政府の情報操作と戦い、情報源の秘匿権、内部告発者の保護権等を駆使して記者を支える。公権力の暴走を、法曹界と言論界が協働して食い止める米国ジャーナリズム界の伝統が、今も生きていることが本書から見て取れる。
 
しかし、言論の自由をめぐる攻防戦の厳しさは、訳語だけでは捉えきれないように思う。原著のthe pressは、ジャーナリズムを担うプロフェッショナル・ニュースメディアを意味するが、訳語はマスコミで統一され、意味や語感に隔たりがある。報道の自由は、press freedomの訳語だが、ジャーナリスト個人が殺害や脅迫の対象になっている欧米の今日の緊迫感は、企業の従業員として良くも悪くも保護されている日本の記者とは異質の側面がある。言論法の運用を方向づけた個々の事件の注釈と合わせて、ある程度の補足註が、日本向けの翻訳本には必要と思われる。
 
米国で攻防戦の前線が急速に拡大している。ツイッター社は大統領のツイートに要事実確認タグをつけ、大統領は対抗措置としてSNS企業の免責を制限する大統領令に署名した。黒人のフロイドさんが白人警官に逮捕され窒息死し、黒人軽視に抗議する全米規模の市民デモがおきている。デモは言論の自由の重要な構成要素だが、トランプ大統領は一部暴徒化したデモをテロと呼び、軍による抑え込みに言及している。自国の路上で、拘束される記者が増えている。政府に異を唱えて人びとがぶつかっていく様は、一九六〇年代を彷彿とさせる。本書と地続きの政治権力と言論の自由の攻防戦の行方を注視したい。(日暮雅通訳)(べっぷ・みなこ=法政大学社会学部教授・メディア社会学)
 
★デヴィッド・E・マクロー=二〇〇二年より「ニューヨーク・タイムズ」紙の副法務担当役員として、名誉毀損、情報公開などに関する訴訟を手がける。二〇一六年十月ドナルド・トランプ氏の弁護士に対し、同紙の権利を擁護する手紙を執筆。文面が公開され話題になる。一九五四年生。