漱石と鉄道
著 者:牧村健一郎
出版社:朝日新聞出版
ISBN13:978-4-02-263096-4

漱石から鉄道と社会を照らす

文学的影響圏も視野に入れた文明批評

小関和弘 / 和光大学教授・近現代日本文化研究
週刊読書人2020年7月3日号(3346号)


『新聞記者夏目漱石』(平凡社、二〇〇五)、『旅する漱石先生』(小学館、二〇一一)に続く牧村氏三冊目の漱石本である。本書では漱石と鉄道との関わりに特化して、漱石の足跡と、彼の影響圏にあった同時代の人々の世界とが立体的に示される。
 
『三四郎』に即しては三四郎が「乗った」列車を当時の時刻表から推理し、名古屋での「事件」の《舞台》と思しき場所へ足を運ぶ。「よっぽど度胸のないかた」の《足跡》までたどられるのだ! 前著の紀行スタイルを踏襲したと言える。その一方で、車窓から見えたはずの富士山への言及がないと指摘し、権威の嫌いな漱石の姿を照らし出すというように、作品本文に書かれた事象をベタになぞるだけでない奥行きのある読みが展開される。
 
「漱石先生の向かいに座り」「鉄道談義をかわし、近代文明の行方を語り合う」(「はじめに」)との狙いは、東海道線のルート決定に関わる形で西南戦争、秩父事件での鉄道と戦争(争乱)の関係に言及し、大津事件の後、閣僚や天皇が鉄路京都へ赴いた事に触れ、鉄道史の概要にも筆が及ぶところに見られるだろう。鉄道国有化と、併行して発展した軽便鉄道事業、さらには漱石没後の第二次世界大戦下の「関門トンネル」建設にまで話柄は及ぶのである。漱石自身や主人公の行動の解明が終点ではなく、漱石の時代を基点とした鉄道と社会を照らし出すのが真の狙いと言える。
 
牧村氏の探索パワーは各所で展開される。ハルビンで暗殺される伊藤博文が鉄道で西へ向かった同じとき、満州から帰る漱石と神戸大阪間ですれ違っていたことを時刻表の精査から推定し、明治期の鉄道車室内を描く赤松麟作の油彩「夜汽車」がどの列車の車室風景なのかを推理するなど、氏の探究心は自在に伸びてゆく。「コラム」欄では『こころ』の主人公「私」の故郷を推定する試みさえ行われるのだ(候補がどこかは本書でどうぞ)。
 
本書からは、調べることの楽しみ・愉楽が匂い立って、錆付きかけた鉄道ファンの私でもたいそう楽しい。しかし、「旅行案内」本体を図版で見せてくれた方がもっと嬉しいという人もいそうではある。
 
作品の背後にまで及ぶ視線は森鷗外が『三四郎』を意識して二年後に発表した『青年』にも及び、東海道線国府津での両作品の〈併走〉にも届いている。漱石の文学的影響圏を視野に入れた探究の「旅」である。漱石未踏の北海道への言及がない(前著では「送籍」関連で触れる)のは当然として、詳細不明ゆえに東北への「旅」の箇所では子規が代打で登場するのも「影響圏」から漱石の旅を逆照射しようとの試みだろう。横須賀線に触れれば勿論のこと、伊豆や房総でも芥川龍之介の名が示される。
 
作品の中味に関わっては、『虞美人草』を材料に食堂車と駅弁との比較に筆を伸ばすが、単なる食談義とはせず、恋愛と結婚をめぐるドロドロ話と言うべき『虞美人草』に、新時代の青年と旧時代の父娘の対比、開化の東京と古都・京都との対比を読み取った上で、「食堂車と駅弁も、そうした対照」を表しているとする。食堂車への読みは『行人』にも及び、人間観察を可能にする「劇場空間」と捉えてみせる。優れた文明批評だろう。また、『三四郎』の市電は「都市を見とおすメディア」だと指摘する。
 
こうした理の勝った叙述の一方で、氏は現今のJRには豪華列車以外に手軽に楽しめる食堂車がなくなったことを嘆き、「なにも食堂車で、気取ったフランス料理なんか食べたくないよ」と結ぶ。ユーモアを解する氏の人柄と文明批評が光るのである。
 
氏は『満漢ところどころ』での中国人労働者の漱石の描写には「民族的な偏見や偏狭なナショナリズムがあったとは思えない」と記す。だが、本書にも引かれる漱石の詩「従軍行」の戦争肯定のトーンを思う時、話はそう簡単ではないように思われてならない。差別感情や偏見は本人が意識しないところに潜んでいるからこそ厄介なのではあるまいか。「とらわれちゃだめだ。〔略〕贔屓の引き倒しになるばかりだ」(『三四郎』)との文言を思い出さないわけにはいかなかった。
 
このあと、氏は中国の日本近代文学研究者(『旅する漱石先生』に李成起氏だとある)の「(漱石は)中国人たちを、文学者ではなく戦勝者の目で見ています」との文言を紹介して、「傾聴しないではいられなかった」と記す。ここに私は「贔屓の引き倒し」の手前で踏ん張る牧村氏の誠実な姿を見る。
 
本書脱稿までに大病で入院をくり返したという氏にとって、胃潰瘍を抱えた漱石にとっての死因ともなったかも知れない鉄道の功過に言及した最終章は様々な思いのこもった章であろう。執筆のプロセスが、氏にとって達成感の獲得と共に身を削るものでもあったことを思わないわけにいかない。彫心(身)鏤骨の作品であり、氏のヒューマニティのにじみ出た「あぶない」(『草枕』)傑作である。(こせき・かずひろ=和光大学教授・近現代日本文化研究)
 
★まきむら・けんいちろう=ジャーナリスト。朝日新聞社で学芸部などに在籍し、昭和史、夏目漱石の記事などを担当した。著書に『獅子文六の二つの昭和』『日中をひらいた男高碕達之助』など。一九五一年生。