宇宙の筋目に沿って 教会の証しと自然神学
著 者:スタンリー・ハワーワス
出版社:ヨベル
ISBN13:978-4-909871-13-8

平和を教会に証しさせる

神学的プログラムの確証、キリスト者の生きるべき方法

石田聖実 / 日本基督教団鈴鹿教会牧師
週刊読書人2020年7月10日号(3347号)


本書は二〇〇〇~二〇〇一年にスコットランドのセント・アンドリューズ大学で行われたギフォード講義である。ギフォード講義(正しくはギフォード記念講演)というのは、法律家であったアダム・ロード・ギフォードの遺志と寄付金によって、一八八八年以後スコットランドの四つの大学で行われている講義で、「最も広い意味における自然神学の研究、つまり神についての知の促進・普及」を目的としたものである。この講師に招かれることはスコットランドの学術界における最高の栄誉とのことである。
 
自然神学というのは、神についての認識を啓示によってではなく、理性によって認識しようとするもので、聖書で言えば「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ローマの信徒への手紙一・二〇)に根拠がある。
 
しかし、キリスト教信仰の保守的な立場から言えば理性によるだけではキリストの福音に到達することは不可能だろうと思う。本書の扉にはジョン・ハワード・ヨーダーの『武装と終末論』からの一節が記されている。
 
「……黙示が明らかにしているもうひとつの点は、十字架を担った人々が、いまや宇宙の筋目に沿って働いている、ということである。人は、機械論的モデルや統計学的モデルに還元される社会過程によっても、堕落した世界の一部を統制する戦いに勝っても、この信仰には到達できない。人は、屠られた小羊の復活を賛美する人々と生活を共にしてはじめてこれに到達できる」。ハワーワスはこのヨーダーの言葉を掲げて自然神学の限界を示して彼の講義へと入っていく。
 
この講義ではかつてギフォード講義を担当した三人の神学者が扱われる。ウィリアム・ジェイムズ、ラインホールド・ニーバー、そしてカール・バルトである。実は私は十九世紀以後の神学はほとんど学んでおらず、ジェイムズに関しては『宗教的経験の諸相』という著書のタイトルと「意識の流れ」という言葉ぐらいしか知らない。ニーバーに関しては有名な「ニーバーの祈り」しか知らない。だから私にとっては今まで避けてきたものに触れる機会となった。
 
この三人の取り合わせは、一見するとバラバラに見える。けれどもハワーワスによれば連続性がある。ジェイムズのキーワードとしてプラグマティズムとヒューマニズムが挙げられている。「ニーバーは、私がジェイムズについて示唆した主題、つまり……キリスト者にとっての倫理学がリベラルな社会秩序の益になるという調停的方法を展開する機会を提供した」「ジェイムズもニーバーも、それぞれの仕方で、教会がキリスト教にとって二の次の存在となる方法で、宗教とキリスト教の記述を提供した」。ここがハワーワスの批判のポイントとなる。
 
カール・バルトは、エミール・ブルンナーとの論争で自然神学を拒否したことで知られているが、ハワーワスは「ギフォード講座の講師の中の最大の自然神学者がカール・バルトであると論じたい。なぜなら、ジェイムズやニーバーと対照的に、バルトは、実在(ex-istence)についての強固な神学的叙述を提供するからである」と言ってのける。スコラ哲学を確立し、啓示神学と自然神学の二つを提示したのはトマス・アクィナスだが、ハワーワスは「アクィナスと同じような仕方で、バルトが神学的プログラムの確証を、キリスト者の生きるべき方法にあるとまさに見抜いていたと主張」する。その「生きるべき方法」は証しである。
 
講義の最終章は「証しの必要性」である。そこで取り上げられるのは、ジョン・ハワード・ヨーダーの非暴力とローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の最初の回勅『人間のあがない主』である。メノナイトの神学者とカトリックのトップの取り合わせは意外に思えるが、どちらも教会の生と証人のキリスト論的中心性を再発見した。そしてこの世界の生を掴んでいる死に対抗する選択肢として平和を教会に証しさせる。
 
こうして本書をたどってみたとき、キリスト教・キリスト者のあり方というのは「隣人を自分のように愛しなさい」という一言に尽きると、改めて思わされた。訳者の東方敬信氏は著者と長く親交があり、これまでにもハワーワスの著書を多く翻訳してくださった。その労に心から感謝したい。(東方敬信訳)(いしだ・きよみ=日本基督教団鈴鹿教会牧師)
 
★スタンリー・ハワーワス=ノースカロライナ州デューク大学神学部ギルバート・ロー神学的倫理学講座教授。二〇一三年名誉教授。二〇〇一年に『タイム』誌で最高の神学者に選ばれた。著書に『大学のあり方 諸学の知と神の知』『暴力の世界で柔和に生きる』など。一九四〇年生。