1964年の東京パラリンピック すべての原点となった大会
著 者:佐藤次郎
出版社:紀伊國屋書店
ISBN13:978-4-314-01172-3

先駆者たちの足跡とプロセス

スポーツにのめり込んでいく者たちの物語

尾川翔大 / 日本体育大学スポーツ危機管理研究所助教・スポーツ政策・スポーツ史
週刊読書人2020年7月10日号(3347号)


パラリンピアンにとって、あるいは、障がい者スポーツにとって一九六四年とはどのような年であったのか。スポーツライターとして名高い著者が本書で描いたのは、一九六四年の東京パラリンピックを舞台として一人の医師とともにスポーツにのめり込んでいく者たちの物語であった。この作品を執筆するプロセスにおいて、著者は膨大な資料を収集しつつ、その只中を生きた人びとへの取材を通して、ここで生み出された物語に肉薄していく。自らの身体を宿る実践理性を基に夢見てかく在ろうとする人びとの意志を感じ取っていく。
 
本書のプロローグでは、一九六四年のパラリンピックの開会式の写真が掲載されている。一九六四年十一月八日に写されたこの写真には、選手団団長である中村裕と選手宣誓を務めた青野繁夫が収められている。著者は、「この一枚からも、歴史の流れや、その場に込められた願いの重みや、そこから始まった新たな道のことなどが、しばらく見つめるうちにひとつ、またひとつと伝わってくるように思われる。これは、そんな一枚である」という。このプロローグの言葉からは、人間の運命に対する暖かな心持ちと深い洞察が込められているように思う。中村と青野が直面する運命のなかで夢見てかく在りたいという意志が結実した、その現れこそがこの写真なのである。
 
本書のストーリーの中心に位置する中村裕は、イギリスのストークマンデビル病院のルードヴィヒ・グットマンの下で学んだ人物である。パラリンピックの父といわれるグットマンは、第二次世界大戦後、傷痍軍人に対してスポーツを通じたリハビリテーションを実施し、社会復帰を支援するシステムを構築した人物である。グットマンの下で学んだ中村が日本の障がい者スポーツの源流にいることは、今日に至って広く知られつつある。本書では、子細な史実を傍らに、中村の並々ならぬ思いと、それに共鳴・葛藤する選手たちの人生が描かれている。それは、先駆者たちの足跡であり、新たなものが創発されていくプロセスである。
 
ただ、著者は「あとがき」において、「この取材を始めてからも、どんな大会だったのかというイメージがなかなか固まってこなかった」と述懐する。しかし、「取材を進めるにつれて、大会を構成するさまざまな側面が見えてきた」という。そして次第に「豊かな中身を持つ物語がいくつも秘められていた」ことを発見していく。取材を通してこうした未知の知を獲得し、新たな思考を開始していくことにこそ取材の醍醐味があると思う。
 
さて、私は本書を読み終えてから、もう一度、冒頭に掲載されている開会式の写真を眺めてみた。この日、中村と青野が思い描いたその先には、いったい何があったのだろうか。この日、夢見てかく在ろうとする意志が花開いたが、それは、現在どうなっているのだろうか。一九六四年の東京パラリンピックの歴史へ問いかける作業は、序曲が序曲であったことを知っている、今を生きる人びとの特権であると思う。(おがわ・しょうた=日本体育大学スポーツ危機管理研究所助教・スポーツ政策・スポーツ史)
 
★さとう・じろう=スポーツライター、ジャーナリスト。中日新聞社に入社、社会部などをへて運動部勤務。夏冬合わせて六回のオリンピック、五回の世界陸上を現地取材。二〇一五年退社。著書に『オリンピックの輝き』など。一九五〇年生。