渇きのままに 七〇年の思索をたどる自伝的小説
著 者:江口幹
出版社:論創社
ISBN13:978-4-8460-1920-4

自己統治の統治をケトバセ

ただしさ地獄の泥沼だ

栗原康 / 作家・政治学者・東北芸術工科大学非常勤講師・アナキズム研究
週刊読書人2020年7月10日号(3347号)


さいきん、ひさびさにデモにいった。きもちよかった。いつもだと警官がデモ隊の両脇をビッチリとかためていて、横にひろがろうとすると、ウラァと体をあててつきとばしてきたり、のんびり歩いていると「おいこら、はやく歩け!」と大声で命令してきたりするのだが、そういうのがいっさいない。スッカスカだ。とにかく警官の数がすくなくて、デモがのびのびとしている。なにがおこったのか?ソーシャル・ディスタンス。おお、コロナよ。
 
でも、あらためてデモにいってよかったのはその解放感だ。とくにこの間、家にこもってテレビをつけると、いつも安倍晋三がクソみたいなことをいっている。だけどそれをディスろうとするたびに、自分の身体がただしい政治的身ぶりをしなきゃいけない、もっともっとと駆りたてられていく。SNSをつかうひとなんかはもっとだろう。正義、正義。みんなただしいことをいいましょう、みんなそれにしたがいましょう。したがわないやつは悪とみなしてとりしまれ。警察かよ。ただしさ地獄の泥沼だ。いつでも他人の目を意識させられる。社会である。
 
しかし、デモにいけば一発だ。他人の目なんて気にしなくなる。なにせ公然と自分のぶざまな姿をさらけだしにいくのだから。汗ダックダクになりながら中指をつきたてて、ふだんはつかわないような口汚いことばをはきだしていく。オール・コップス・アー・バスターズ!警察はみんなあん畜生。最高だ。他人に縛りつけられていた自分が消える。ほんとの自分をとりもどす。大正時代のアナキスト、大杉栄はこれを「自我の棄脱」とよんでいた。
 
さて本書はアナキスト、江口幹の自伝である。江口は一九三一年、岩手うまれ、東京そだち。お父さんが職業軍人だったので、江口も軍人になるべく陸軍幼年学校にいっていたのだが、一四歳のときに敗戦。成城中学校に復学した。でも戦後民主主義教育に欺瞞をおぼえて中退。家出して新聞社の給仕としてはたらきはじめる。一六歳のとき、新橋駅付近でアナキストが演説しているのをきいて感動。日本アナキズム連盟(以下、アナ連)の事務所に出入りするようになった。
 
だがすぐに幻滅。一九四七年、労働運動が高揚するなかアナ連のうごきがパッとしない。シビレをきらした江口は同年代の若者に声をかけ、事務所を占拠して機関紙をのっとろうとする。でもその計画が未然に発覚。アナ連を辞めさせられてしまう。その後、大阪にいって労働組合の専従になり、東京にもどってきてからはライターや翻訳の仕事をするようになった。フランス語を学んで、一九六五年に渡仏。ダニエル・ゲランやカストリアディスの著作を知り、その翻訳がかれのライフワークになる。
 
じゃあ、江口の思想はというと、他律から自律へ。他人におしつけられた法律にしたがうのではなく、自分たちで話しあってきめた法律にしたがう。君主や議員などの少数のエリートがつくりだした上からの秩序ではなく、民衆自身がつくりだした下からの秩序にしたがう。自己統治、それが江口のアナキズムだ。江口はその思想をつかって、大杉栄をディスりはじめる。あいつは「自我の棄脱」とかいっていたからダメなんだ。だって、そんなことをいっていたら、たとえみんなできめたルールでも、そこに同調圧力を感じたら破るやつがでてきてしまうだろうと。たえず他人の目は意識しなくてはいけない、それが社会だ、大人なんだ。それにしたがえないというのなら、そんなやつはオコチャマにすぎない。
 
どうだろう。江口によれば、自律とは未完のプロセスであり、よりただしいルールをつくるために不断の努力をしなければならないというわけだが、そうやって、もっとただしくとやればやるほど、ただしさ地獄に陥っていくだけなんじゃないだろうか。どんどん、他人の目に支配されていく。自発的とりしまりだ。SNSっぽい。もし自律というのなら、いまだいじなのはむしろ逆なんじゃないのか。「自我の棄脱」。ただしさに食い殺されるまえに、まずは社会に飼いならされた自分自身を打ち砕こう。万国の子どもたちよ、駄々をこねろ。本書を読んであらためておもった。自己統治の統治をケトバセ。大人はみんなクソ。ファック・ザ・ポリス!(くりはら・やすし=作家・政治学者・東北芸術工科大学非常勤講師・アナキズム研究)
 
★えぐち・かん(一九三一~二〇一九)=アナキスト・評論家・翻訳家。十四歳の時に敗戦を経験。十五歳で家出。一九四七年『週刊平民新聞』を通じてアナキズムを知る。著書に『五月革命の考察』『黒いパリ』『疎外から自治へ 評伝カストリアディス』『文明変革の視点』『パリ68年5月』など。