分析哲学 これからとこれまで
著 者:飯田隆
出版社:勁草書房
ISBN13:978-4-326-15466-1

「ただの哲学」に至るまで

専門家にとっても読むべき一冊、初学者には貴重な見取り図に

青山拓央 / 京都大学大学院准教授・哲学
週刊読書人2020年7月10日号(3347号)


「これからとこれまで」という本書の副題から、著者がそこに込めたのとは少し違った意味合いを、この書評では読み取ってみたい。しかし、その前にまず、著者が込めたであろう意味合いを確認しておくべきだろう。
 
分析哲学とはただの哲学のことである、と著者は本書で繰り返し述べている。分析哲学はいまや、特定の教条にしたがって特定の問題のみを扱うものではなく、哲学の問題領域の全体を自在に扱うものとなっている。
 
他方で、「哲学」とは別に「分析哲学」という呼称が必要とされてきたことにも、たしかな理由がある。分析哲学が「ただの哲学」と呼びうるものに成長するまでには、方法論的にも歴史的にも、哲学としての一種の異質性があった。新たな論理学をベースとした、言語の哲学的分析への傾倒。論理実証主義の影響を受けた、科学的な哲学への志向。本書の第一九章では、一九七〇年前後の日本において分析哲学がいかに受容されたかが活写されているが、その叙述からも、まだ異質であった時代の分析哲学の姿が見えてくる。
 
これからの分析哲学が、縛りのないただの哲学としてますます広まっていくであろうことと、これまでの分析哲学が、それ固有の方法論や歴史を備えて広まってきたこと――。この二つが矛盾せず、むしろ自然な繋がりをもつことを、本書はさまざまな観点からじつに巧みに描き出している。序論と第一のパートはとくにこの目的にあてられたものだが、他のパートでも、フレーゲの哲学の今日的役割や、可能性の概念の論理的扱いなどを見ることで、分析哲学のこれからとこれまでがトピックに即して語られている。(そのほか、第八章など、独自の哲学的考察が試みられている章もある。)
 
さて、本書の副題に込められた本来の意味合いは上記の通りだと思うが、分析哲学の一研究者として、私は以下のことを付け加えておきたい。本書はまず、これから分析哲学を学ぶ者にとって貴重な見取り図となる一冊であるが、それだけでなく、これまで十分に分析哲学を学び、それを専門とする者にとっても、ぜひ読むべき一冊である。なぜなら、これまで学んできた分析哲学のいわばお作法が、これから(分析)哲学をするさいの障碍ともなりうることを、読者に気づかせてくれるからだ。
 
分析哲学を生業とする者にとって、本書でときどき発せられる警句は耳の痛いものであろうし、もし、まったくそう感じないのであれば、分析哲学者として自分が何をやってきたかに無自覚すぎる恐れがある。たとえば、次の一節はどうだろう。「哲学の学会で出会う「分析系」の発表や論文のなかにはいまでもなお、「海外の」最新の論文を読んで書いたレポートのようなものがみられる。[…]海外の著者の比較的新しい論文や本にある議論を紹介して、最後に付け足しのようにして、いくつかの問題点を指摘して終わるのが典型的である」(一七頁)。
 
この指摘との関連で、私が自分の指導学生にたまに話していることを最後に書かせて頂きたい。本書でも紹介されているStanford Encyclopedia of Philosophy(インターネット上の有名な哲学百科事典)であるが、これはきわめて有用であるものの、自分の問いを見定める前にこれで「勉強」を始めてしまうと、自分が何を問いたかったのかを見失ってしまうことがある。本書の言う、肯定的な意味での「アマチュア」の問いが、すでに整理され格付けされた専門家の問いに取って代わられることで。(あおやま・たくお=京都大学大学院准教授・哲学:Twitter@aoymtko
 
★いいだ・たかし=慶應義塾大学名誉教授・哲学。東京大学大学院博士課程退学。著書に『虹と空の存在論』など。一九四八年生。