生の肯定 ニーチェによるニヒリズムの克服
著 者:バーナード・レジンスター
出版社:法政大学出版局
ISBN13:978-4-588-01110-8

いま一度、生の肯定へ

分析哲学による体系的ニーチェ解釈の到達点

齋藤元紀 / 高千穂大学教授・哲学
週刊読書人2020年7月17日号(3348号)


「生まれてこないほうが良かった」――反出生主義とも呼ばれるこの立場は西洋では古くからあるが、ベネターの同名書の邦訳(小島和男・田村宜義訳、すずさわ書店、二〇一七年、原著二〇〇六年)が刊行されるや、わが国でも盛んに論じられるようになった。人生への深い失望、出産への躊躇い、環境破壊といった人類の悪行、これらを目の当たりにして、先の言葉がふと口をついて漏れてくる。生きる意味も目的も見い出せないこんな最悪な世界などこちらから願い下げ、人類全体も早晩絶滅したほうが良い、というわけである。そんな皮肉めいた反出生主義には当然多くの反論が寄せられているが、しかしそうした敏感な反応こそ、かえって現代社会の生き辛さを裏書きしているとは言えまいか。
 
だがすでに一世紀以上前、そんな悲観主義を徹底的に掘り下げ粉砕し、生の肯定を高らかに掲げた哲学者がいる。ニーチェその人である。もっとも、「元気を与える思想」などとしばしば軽々しく称されるのとは正反対に、生の肯定に至るまでのニーチェの思想的格闘は、文字通り血みどろの苦悩に満ちた歩みであった。ショーペンハウアーのペシミズムによる洗礼を振りほどき、デュオニソスへの傾倒を深めながらキリスト教道徳に抗いつつ、絶望に満ちたニヒリズムの抜本的克服を目指すといった紆余曲折を経るなかで、その思想は錬成された。しかしそれだけに、力への意志や永遠回帰といった彼の諸概念は一筋縄で読み解けるものではなく、それら諸概念相互の脈絡をつけるとなれば、いっそう困難を極める。哲学思想は複合的な含意を持つものだが、ニーチェの場合はそれがひときわ甚だしい。
 
第二次大戦前後にかけてはいわゆる実存主義的解釈が、次いでポストモダン系解釈も登場したが、それらはしばしば彼ら自身の独自の立場からニーチェに強い負荷をかけるものであった。他方、戦後批判的全集版の刊行が始まるのと時期を一にして、英米圏でも新たなニーチェ解釈の潮流が生まれたが、なかでもダントの『哲学者としてのニーチェ』(眞田収一郎訳、風濤社、二〇一四年、原著一九六五年)以降主流となったのが、分析哲学系の解釈である。とはいえそこでも、真理や自由や規範等の分析哲学系の諸概念が好んで取り上げられ、自然主義やメタ倫理学などの観点から独自の解釈を展開されることが少なくなかった。
 
それに対して本書は、分析哲学的なアプローチによりながらも、ニーチェ思想全体を視野に収めた精緻な体系的解明を実現している点で、従来の解釈とは明確に一線を画している。それは一見体系を嫌ったニーチェの意図に逆らうようだが、むしろニヒリズムへの体系的応答こそがニーチェの真意であったのだ、と本書は喝破する。こうして本書は、何よりもまず「生の肯定」に主眼を置き、「実質的」な価値転換としての「力の倫理」を打ち出すことにより、メタ倫理学を含む従来の分析哲学的解釈を巧みに斥けながら、ニヒリズム、力への意志、永遠回帰といった諸概念とその連関をじつに鮮やかに読み解いていく。その明快な叙述と緻密な整合的解釈は、従来の分析哲学的解釈のみならず、ニーチェ解釈としてもきわめて高い水準に到達していると言えよう。加えて、冒頭で触れた反出生主義を含め、昨今の分析哲学や生命倫理学で議論の沸く「人生の意味」という主題に踏み込み、実存主義のお株を奪うような骨太な議論を繰り広げている点も、本書の大きな魅力である。二〇〇六年の原著の刊行直後から各方面で高い評価を受けたのも頷ける。
 
筆致の明瞭さと引換えに事柄を平板化していまいか、抵抗の克服は本当に生の肯定となりうるのか、といった疑念もあろう。だが、本書の丹念な体系的解釈と生の肯定という力強いメッセージは、それを補って遥かに余りある。生の肯定を今一度高く掲げる体系的大著の邦訳、長年にわたる訳者の「生みの苦しみ」に敬意を表するとともに、その刊行を心から悦びたい。(岡村俊史・竹内綱史・新名隆志訳)(さいとう・もとき=高千穂大学教授・哲学)
 
★バーナード・レジンスター=ブラウン大学哲学科教授・ニーチェ哲学を中心とした一九世紀ドイツ哲学および倫理学。