星に仄めかされて
著 者:多和田葉子
出版社:講談社
ISBN13:978-4-06-519029-6

「言語」と「国」の越境、母語を捜す旅

失われた母語がほんらいの意味とかたちを取り戻す瞬間

八木寧子 / 文芸批評
週刊読書人2020年7月17日号(3348号)


全世界をたちまちにして覆いつくした「禍」のさなか、「言語」と「国」の越境をモチーフとする多和田文学の最新長篇を読むことの意味の大きさを、あらためて問われる思いがする。
 
二〇一八年刊行の『地球にちりばめられて』に続く三部作の二冊目。
 
前作では、ヨーロッパ留学中に日本とおぼしき母国が消滅したという女性、Hirukoの、同じ祖国の言葉を話す人を捜す旅、母語捜しの道行に奇しくも同道することになった面々の多様な出自がそれぞれの語りによって綴られた。
 
Hirukoにもっとも寄り添う、若き言語研究者でデンマーク人の青年クヌート、ドイツ留学中のインド人で男性から女性へと「性の引っ越し中」であるアカッシュ、グリーンランド出身のエスキモー・ナヌーク、彼を救ったドイツ人女性のノラ、そして、ナヌークのもたらした情報によってその存在が明らかになった、どうやらHirukoと同郷のSusanooという男。
 
彼らは、それぞれの組み合わせで通じる言語をもちいて意思疎通をはかり、Hirukoにおいては「スカンジナビアの人なら聞けばだいたい意味が理解できる人工語」である「パンスカ(汎スカ)」を必要に迫られて発明もした。彼らは、時にやすやすと言語と国境を越える一方で、どうにも乗り越えられない壁=内実をそれぞれに抱える。その自由さと不自由さの意味と意義。
 
文字通り、「地球」全体にちりばめられていた者たちがひとつのパーティを組んでSusanooに辿り着くところまでを描いた前作から、今作では失語状態のSusanooを発話させようと、そしてまた消滅した国の言語を耳にしようと彼らがふたたび集結する顚末が描かれる。
 
Susanooを失語症の専門医に診せるべく、コペンハーゲンに集う一行。新たな登場人物である医師のベルマーはクヌートの先輩であり、ベルマーが勤める病院の地下で皿洗いに従事するムンンとヴィタが狂言回しのごとき役回りで一同の間を回遊する。『地球』では煙たい存在だったクヌートの母にも重要なポジションが与えられ、「母語を捜す旅」はさらに混沌とした様相を呈してくる。
 
しかしながら、『星に仄めかされて』は単体でも読めるたくらみと趣向に満ちており、登場人物同士が起こす化学反応あるいは記憶の「共有」によって、一瞬、失われた母語がほんらいの意味とかたちを取り戻し、発語が感情の発露、その拡声器として機能する瞬間を目撃させられる。
 
終盤でSusanooはついに発話するのだが、周囲の期待と予想を裏切るほどの荒々しさで彼の言葉がHirukoの過去から「痛み」を引き出すその場面は、膿を出す外科手術のようでもあり、患者だったはずのSusanooが「君たちは口を開け閉めしているだけで大切な話は何もしていない」と、高らかに告げる場面は最大の見せ場だ。
 
『星』の二か月ほど前に出版された、作家・評論家である室井光広による渾身の一書『多和田葉子ノート』(双子のライオン堂)が詳らかにするように、多和田文学の根底には、多言語のはざまで文業を続けてきた著者自身の立ち位置によってかたちづくられた複雑な地層があり、『地球』の背景に、カフカ、アンデルセン、ゲーテ、シェイクスピア、柳田国男、折口信夫、宮沢賢治、そして古事記、日本書紀という神話以来の多様な「書かれたもの」の痕跡が幾重にも輻輳している。そのことを踏まえたうえで星→地球と遡って読むと、SusanooとHirukoの対峙の場に臨席した者たちがどのようにしてそこに辿り着いたか、その「必然」を逆回しのフィルムで見るような面白さが味わえる。
 
多和田文学ではおなじみの言葉の連想や、転換、音や意味の取り違えが生む新たな発見、そのおかしみはもちろんのこと、人間同士が触れて生まれる様々な感情、甘やかなものから苛烈なもの、それらを超越したもの、すべてが渾然一体となって盛られている器の輪郭がこれまたはっきりとなぞれないというもどかしい愉楽も存分に堪能できる。
 
Hirukoは記紀にあらわれる欠損の子「蛭子」のメタファーであり、Susanooは贖罪神「スサノオ」の化身である。
 
母語を取り戻しかけた一方、倚って立つ根拠を失った事実を明確に突きつけられたHirukoと、未だ謎を湛えた存在のSusanoo。ふたりを中心とした旅は、次作で大航海に出帆することが預言される。「地球には穴もあるが、連続性もある。それは海がつながっているからだ」という一文が示唆するもの。果たして彼らの未来は一条の「光」もしくは作中でHirukoが「球形女神様」の別の謂いとする「太陽」に束ねられるのか、それとも漆黒の「闇」に永遠の神話として葬り去られるのか。
 
多和田文学の抜きんでた読み手である室井氏が二〇一九年に急逝したことの大きさと哀しみを胸に再読を重ねつつ、完結編を待ちたい。(やぎ・やすこ=文芸批評)
 
★たわだ・ようこ=作家・詩人。一九八二年よりドイツに在住し、日本語とドイツ語で作品を手がける。著書に『犬婿入り』(芥川賞)『ヒナギクのお茶の場合』(泉鏡花文学賞)『容疑者の夜行列車』(伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞)『尼僧とキューピッドの弓』(紫式部文学賞)『雪の練習生』(野間文芸賞)『雲をつかむ話』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞)など。ドイツのクライスト賞ほか受賞多数。一九六〇年生。