イタリア芸術のプリズム 画家と作家と監督たち
著 者:岡田温司
出版社:平凡社
ISBN13:978-4-582-47906-5

イタリア映画の図像学的研究

映画監督の根底に息づく絵画史を読み解く

古賀太 / 日本大学芸術学部教授・映画史
週刊読書人2020年7月17日号(3348号)


「映画的」という言葉がある。映画固有のおもしろさや美学を指すが、映画評論家や研究者は、この言葉に象徴されるように監督や作品の評価をあくまで映画のなかで完結しようとする。それはかつて映画を政治や思想に大きく引き付けて解釈する方法が幅を利かせたことへの反発かもしれない。
 
ところが美術史家の岡田温司は、映画からその背後にある美術や哲学に自由に考えをめぐらす。彼の『映画は絵画のように 静止・運動・時間』(二〇一五年)は、影、鏡、肖像画といったテーマごとに古今東西の映画を俎上に挙げて、絵画との比較のもとに哲学的な分析を加えたもので、映画史家なみの映画の知識に驚かされた。私はフランスの哲学者、ジル・ドゥルーズの『シネマ』の二冊を思い浮かべた。あるいはジャンルを超えた博覧強記ぶりは、かつての山口昌男のようでもあった。
 
さて今回の題名は『イタリア芸術のプリズム 画家と作家と監督たち』だが、基本的にはイタリア映画を中心に語っている。ピランデッロ、フェリーニ、パゾリーニ、アントニオーニ、ベルトルッチについて、その作品に出てくる絵画的なイメージを中心に考察する。もちろんピランデッロは劇作家で映画監督ではないが、彼が映画化を予定して書いた小説がまるで一本の映画のような形で俎上に挙げられている。
 
岡田温司はモランディやカラヴァッジョについて本を書いているように、美術史の中でもイタリア美術が専門だ。だからイタリアの監督たちについて書いた今回の本は、『映画は絵画のように』に比べて網羅的でない分、大好きなイタリアについて自由に筆が躍っているようで読んでいて楽しい。
 
私がとりわけ興味深く読んだのは、パゾリーニとベルトルッチを扱った二つの章だ。ここには、イタリアの映画監督の根底にイタリア絵画史が脈々と息づいていることがいくつもの映画のシーンをもとに示されている。
 
「Ⅲ パゾリーニと伝統のアヴァンギャルド」は「ボローニャ大学の学生時代に美術史に目覚め、若いころにいちどは画家を志したことのあるピエル・パオロ・パゾリーニにとって、美術と映画とは切っても切れない関係にあった」と始まる。そして『テオレマ』(一九六八年)の後半で若い画家が殴り描きをする場面の分析に移る。これは明らかに当時の現代美術を皮肉った場面だが、パゾリーニはジャクソン・ポロックもアンディ・ウォーホルも評価していなかった。それは彼の師の美術史家、ロベルト・ロンギから引き継いだものだった。
 
そして『アッカトーネ』(一九六一年)や『デカメロン』(一九七一年)やオムニバス『ロゴパグ』(一九六三年)の「ラ・リコッタ」や『マンマ・ローマ』(一九六二年)や『ソドムの市』(一九七五年)などの映画に、アルカイックな呪術的世界やジョット、マザッチョ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、カラヴァッジョなどの絵画を読み解く。『ソドムの市』の舞台となるファシストたちのいる室内がアール・ヌーヴォーやアール・デコの様式の家具で占められており、権力者が座る椅子がマッキントッシュのデザインになることや広間に飾られた絵が未来派的な作品であると言われるとそうかもしれないとは思うが、少なくともそう明示した者はたぶん日本ではいない。
 
パゾリーニの映画を見れば、時に攻撃的で前衛的な内容とは裏腹に、ある種の古典的な構図への志向は十分に感じることができる。しかしその奥にはジョットなどの数多くのイタリア絵画があることはこの本を読んで初めて知った。さらにフランシス・ベーコンやジョルジュ・モランディもあるがゆえに、「伝統のアヴァンギャルド」と言われることも。ベルトルッチについても、同じようにその絵画的イメージを徹底追究する。
 
おそらくフランス映画やイギリス映画にもこうした分析が可能かもしれない。もちろんそれにはフランス映画を大量に見ているフランス美術史の専門家が必要だが。フランスでは二〇〇五年にリュミエール兄弟の映画を印象派絵画と比較した「印象派と映画の誕生」展(リヨン美術館)や、同年に画家ピエール=オーギュスト・ルノワールと息子の映画監督、ジャン・ルノワールを比較した展覧会(シネマテーク・フランセーズでオルセー美術館が共同主催。これは「ルノワール+ルノワール」展として後に日本にも巡回)があった。
 
日本でも高畑勲監督が絵巻物をアニメと比較した『十二世紀のアニメーション 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(一九九九年)という本がある。最近では古賀重樹著『1秒24コマの美 黒澤明、小津安二郎、溝口健二』(二〇一〇年)は、この三人の巨匠に出てくる絵画や絵画的イメージを追いかける。また東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で二〇一三年末から翌年初めに開催された「小津安二郎の図像学」展は、小津の映画と生活における絵画やデザインのイメージを具体的に展覧会の形で見せたものだった(残念ながらカタログはない)。日本では岡田温司によって始められた「映画の図像学的研究」には、広大な未開の地が広がっている。(こが・ふとし=日本大学芸術学部教授・映画史)
 
★おかだ・あつし=京都精華大学大学院芸術研究科教授・京都大学名誉教授。西洋美術史・芸術学・思想史。著書に『フロイトのイタリア』(第60回読売文学賞 評伝・伝記賞)『モランディとその時代』(第13回吉田秀和賞)、訳書にロベルト・ロンギ『芸術論叢』(I・Ⅱ、第9回ピーコ・デッラ・ミランドラ賞)、アガンベン『書斎の自画像』など。一九五四年生。