オオカミの護符
著 者:小倉美惠子
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-126291-8

オオカミの護符

図書館員のおすすめ本(日本図書館協会)

山成亜樹子 / 神奈川県立図書館
週刊読書人2019年6月14日号(3293号)


 神奈川県川崎市宮前区土橋。私の地元から少し離れた,都会的で洗練された街というイメージを抱いていた。
 川崎市内の職場に勤務していた時,先輩職員が勧めてくれたのが『オオカミの護符』であった。読み進むにつれ,地域には太古から息づく文化が現代にも脈々と伝わっており,土橋地区の「もう一つの顔」をこの本から垣間見た思いがした。
 著者・小倉美惠子氏の生家にある土蔵の扉に貼られた「護符」。幅10cm,長さ30cmほどの細長い紙には,鋭い牙を持つ「黒い獣」が描かれていた。「護符」は何度も張り替えられ,土橋地区の農家の戸口や台所,畑などに掲げられていたそうだ。しかし,昭和47(1972)年頃から急速な人口の増加,街並みの整備に伴い,「護符」を見かけることも,その存在を知る人も少なくなってしまったそうである。著者自身,「護符」はどのように入手しているのか疑問に思っていた矢先,「土橋御嶽講」の存在を知ったそうだ。
 「土橋御嶽講」とは,農繁期が始まる前に,作業の無事と豊作を願って「講」を組んで青梅市の武蔵御嶽神社にお参りに行き,「護符」をいただいてくる行事である。「護符」に書かれている言葉の意味,描かれた「黒い獣」の正体を追って,青梅市から調布市,埼玉県三芳町,秩父市,山梨県・・・と,関東一円に舞台は広がっていく。各地で継承されている神事,風俗には現代の暮らしの礎になっているものも少なくない。
 一枚の「護符」がもたらしたもの。それは,地域に息づく先人たちの「声」を私たちに届けてくれる,時空を超えた旅であった。変化の激しい社会の中で,手間をかけ,風習を守り伝えることは生易しいことではない。しかし,郷土を大切に思う人びとの気概を胸に刻み,未来の世代へ伝えていきたい,その思いを新たにした1冊である。