中動態の世界 意志と責任の考古学
著 者:國分功一郎
出版社:医学書院
ISBN13:978-4260031578

中動態の世界

図書館員のおすすめ本(日本図書館協会)

山本貴由 / 志摩市立小学校
週刊読書人2019年12月13日号(3319号)


 能動と受動。英文法の授業で習った二つの態は対立する関係にある。しかし今もう一度考え直してみてほしい。あらゆる行為がこのどちらかに分類できると言われたら,疑問を抱かないだろうか。例えば能動的であることを仮に「自身の意志をもって行動すること」とするなら,睡余の一挙手一投足はすべて能動的と言えるのだろうか。また銃を突きつけられて恐怖のままに取る行動は受動的なのだろうか。そこには不本意ながらも行為者の意志が介在しているように思われるが。
 本書では能動態/受動態のほかに,かつてインド=ヨーロッパ語族の諸言語にあまねく存在していたとされる「中動態」という態に焦点を当てて解説を行っている。「中動態」も受動態と同様に能動態と対立する関係にあり,ごく単純化して言うと,能動/受動がする・されるの関係ならば,能動/中動は主体が過程の外か・内かという関係にあたる。著者はこれらの態の概念を言語学の世界にとどめず,哲学の議論,引いては現実世界に生きる私たちの行いにも当てはめて新たな視座を与えている。
 著者も節々で言及しているが,能動/受動のパースペクティヴで物事を見るとき,そこには意志や責任という言葉がつきまとう。ある行動に明確な意志があったか否かは本人以外にはわかり得ない(厳密には本人にもわかり得ないことかもしれないが)はずだが,第三者にその意志の有無を判定され,結果その行動の責任を追及されるということはよくある。しかしそこに能動/中動という区分を用いるならば,必ずしも意志・責任の所在をただす必要はなくなってくる。
 仕事柄中高生に関わることの多い私は,かれらの等身大の悩みを聞くことが多い。かれらの背負ったものを相対化するにはどうすればよいのか。十代には難しい本だが,「こんな本や考え方もあるよ」と紹介したくなる。