胃袋の近代 食と人びとの日常史
著 者:湯澤規子
出版社:名古屋大学出版会
ISBN13:978-4815809164

胃袋の近代

図書館員のおすすめ本(日本図書館協会)

長谷川拓哉 / ゆうき図書館、日本図書館協会認定司書第1140号
週刊読書人2020年5月15日号(3339号)


 石垣りんの詩が好きである。当館の名誉館長である新川和江の詩ももちろん好きである。両詩人とも市井の視座から言葉を紡ぎ,人間味の溢れる詩として結実させている点が特に好きなのだろう。
 本書のあとがき,著者は石垣の詩「くらし」を引いている。「人間にとって,最も重要かつ日々逃れられない性の一つである」(p.321)食べることを丹念にとらえた詩である。本書を読後,人びとの暮らしの本質は生きることであり,同時に食べることであることを改めて意識した。
 特に「食と都市化」が書かれた第1章「一膳飯屋と都市」が興味深い。以下は,林芙美子の自伝的小説『放浪記』に描かれる大正期の新宿における一膳飯屋の風景である。
 十銭玉を握りしめたドロドロに汚れた服装の年恰好四〇前後の出稼ぎ労働者に対し,大きな飯丼,葱と小間切れの肉豆腐,濁った味噌汁が十五,六歳の女中により提供される。「労働者にこれだけの量で足りるのだろうか」。そのように見ていた「私」であるが,私とて広島・尾道から一人で出てきたカフェーの女給である。
 この登場人物3人はみな,それぞれ東京で働き,自らの胃袋を自らによって「満たす必要がある人びと」(p.22)であり,こうした人びとが集まる場所が「一膳飯屋」という社会システムだったのだろう。
 翻って,現今,食事を取り巻く「こしょく」(孤食・固食・個食など)環境があり,打開策のひとつとして「子ども食堂」の取り組みが注目されていることも興味深い。
 なお,著者には,『在来産業と家族の地域史』(古今書院 2009)という結城紬生産における家族の役割についての著作もある。本書第3章以降の理解につながるため,本書との併読をおすすめしたい。