昭和天皇 上
著 者:ハーバート・ビックス
出版社:講談社
ISBN13:978-4-06-210590-3

眼の前にある現実を考える時、
一度は読んでおくべき本

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

石井昭 / TRC 最高顧問
週刊読書人2020年7月24日号(3349号)


昭和天皇(迪宮裕仁みちのみやひろひと)は1901年(明治34年)に生まれ1989年(昭和64年)1月に亡くなられた。彼の壮年期の大半は日本の世界的孤立の時代であり、日本軍による中国侵略に始まり太平洋戦争(日本では大東亜戦争)の敗戦に終わるまでは、日本自体が危機の時代でもあった。
 
この本はその間の軌跡について検証することを主眼として書かれているが、当時を知る国民の一般的認識とはかなり違っていて、戦争の実態と戦時中における数々のジュネーブ条約違反の承認(但し、書面上の承認者は閑院宮であったが)にはあらためて驚くばかりである。
 
日本人の大半は昭和天皇は戦争にあまり関わらなかったと考え、しかし日本が無条件降伏を決断した背景には、天皇の「和平への強い意志」があったからと考えているが、この本の著者は昭和天皇が実態的には戦争中の隅々までを知っていた真の指導者であり、時に国際法に反するさまざまな違法行為の決定権者でもあったことを、細部にわたる検証によって実証している。
 
天皇の戦争責任については、連合国特に当時の米国大統領トルーマンは強硬であったと言う。対する日本側の主張は「立憲制度下での天皇の責任は軽い」という趣旨だったが、最終的に、日本の主張が連合国側に承認された背景は、占領軍総司令官マッカーサーの強い天皇支持によるものであったとしている。
 
天皇家の権力の確立を成し遂げた人物は第122代の明治天皇であり、それは相当に神がかった歴史観を背景にしている(今でも、明治天皇は神として明治神宮に祀られている)。日清、日露両大戦の大勝利により、その後はさらに、建国神話と事実としての歴史が混じり合った歴史観が強化され、日本が「神の国」であるとする考えが根強く浸透して、天皇家独自の道徳的神性を支えた。
 
私が小学生の時(1942年頃)、当時は太平洋戦争中の事でもあり、天皇の神性についての歴史解釈がごく当たり前のことだった。しかし、歴史の時間にある生徒が手をあげて「先生、高天原(たかまがはら)という場所とそこから天照大御神が降臨されたという場所は何県にあるのですか?」と聞いた時のことを私は今でも忘れられない。
 
神話の人物と実際の歴史との生物的結びつきがありえないことぐらいは子供でも分かることだから教室は一瞬静まり返り、答えに窮した先生がしばらく黙り込みそれから少し怖い顔になって「そういう事を聞くものではありません」と言った。質問した生徒は明らかに叱られたと思い、立ったままシクシク泣き出した。運よく終礼の鐘が鳴って話はそこまでですんだのだが、戦時下の教育であったにせよ、〝天皇が神の血を受け継いでいるという不思議な話〟は、太平洋戦争後、昭和天皇自らが語った「人間宣言」まで真の決着には至らなかった。
 
そもそも明治37~38年の日露戦争の大勝利が世界を驚かせたのは、英国米国の強い後押しがあったとしても人種的ヒエラルキーに勝る白人種のロシア帝国が黄色人種である日本人に負けたこと、即ち人種的ヒエラルキーが崩れた驚きも大きかったのではなかったか?日本では太平洋戦争を大東亜戦争と呼び、日本はこの戦争の意義を「西欧の白人支配による植民地政策から東洋の黄色人種の国々の脱却と独立を主導する戦い」であり、いわゆる大東亜共栄圏の盟主としての立場を意識し戦争を正当化した。
 
日本人のこの選民意識を維持し続けるために、かつて明治天皇は脳に障害を持ちまた病気がちであった嫡子大正天皇よりも当然その孫に期待を持った。幸い大正天皇の妃に選ばれた16歳の九条節子は健康な体と高い知性を持った女子学習院の才媛であり、四人の健康な男子に恵まれた。特に嫡男であった裕仁は聡明であり、他人の話(報告)を自分がよく理解できるまで確かめる几帳面さをもっていたので、祖父である明治天皇及びその側近達は安心し、国民は国家の永続性を信じて熱狂的に祝賀したのである。
 
天皇家の慣習として皇子達は両親の元で育てられることはなく、四人の子供たちは宮城に近い御殿(現在の青山御所)で何人かの元老達の責任下で幼年期を過ごしたが、皇太子裕仁は学習院初等科の授業の他に、超国家主義者である杉浦重剛等から「国体」に関する自身の立場や国粋的な教育を受け、同時にそれぞれの専門家から産業革命以降の世界の急速な工業化や、軍事力の変化などを学んだ。さらに明治天皇自らの要請で裕仁だけが学習院院長乃木希典の自宅で生活し学習した。家庭生活を知らない裕仁にとって乃木の日常における明治天皇への忠誠心は大きな影響を与えたという。
 
1926年国民の熱狂的喜びのなかで天皇家の第124代目の主となった裕仁は、民政、外交、軍事を統括する最高権力者となり、明治天皇の後継者として彼の地位は確立された。しかしながら、その後は、三つの大きな勢力の暗闘に悩まされ続けることになる。それは明治大帝の部下で構成される元老一派、1920年前後に興った多分に民主主義的傾向をもった政党の活動、なかでも内政外交共に実力をもつ軍部であった。
 
特に、第一次世界大戦の武器の進歩と共に陸軍の動きは国粋主義国家観とともに強く、世界的人種差別のなかで、日本人が他の黄色民族よりも「選ばれた民族」であり、黄色人種である東洋の主としての存在を目指すために、日本国軍は「皇軍」と呼ばれ、国民から戦いに於いて絶対的な強さを持つと信じられるようになる。同時に三者の国家主導権争いのなかで軍部が次第に力を増すことにも繋がった。しかし陸軍を主とした二度にわたる軍事クーデターを裕仁自身が断固として鎮圧したため、天皇は日本の完全な統治者、更に陸海軍の最高司令官としての実力をもち、その後は軍事指導に自ら決定権を持つようになる。
 
日本が満州国を傀儡として中国大陸への足掛かりとした以後、彼は東洋における日本の膨張が道徳的考えと相いれないとは考えなくなった節があり、対中国戦以降は国際条約違反を十分に知りながらその実行(毒ガスの使用、化学兵器製造のための人体実験、戦場での裁判抜きの処刑等々)に裁下を下すことが多くなった(但し、それらの承認の文章に彼の署名はなく、軍部と近い閑院宮名で発令された)。当時の中国は世界情勢に乗り遅れ立憲国家として未成熟だったため、恐らく天皇も中国を馬鹿にする日本大衆の精神性に近かったと思う。事実彼は蒋介石の国民党を信用せず、度重なる欧米の圧力に対しても対中国への侵略方針を曲げなかった。そのため、日本は次第に国際的に孤立し、第二次大戦の始まりと初戦におけるナチスドイツの電撃的勝利をみて、ナチスとの同盟をあえて裁可し、遂には国際連盟を脱退することになる。
 
この事態は無論本来ナチス嫌いの天皇が望むところではなかったが、第二次世界大戦初期ドイツが日本の仮想敵国であったソビエト連邦戦で優勢だったため、あえて下した裁下とも云われている。但し一方で、戦時物資の重要な輸入先であるアメリカとの関係悪化を苦慮した末の苦渋の判断であり対米英関係は当然最悪へと進む。以後、天皇の外交及び軍事への指導は次第に深まっていく。日本の真珠湾攻撃についても「早期の和解」を前提としながらではあるが、結局裁下は天皇自身の判断で(彼自身の署名により)行われた。
 
しかし日本は初戦の大成功後、わずか半年後の1942年6月ミッドウェー沖海戦で主力空母4隻と熟練搭乗員100名以上を失い事実上日本は海上航空戦力の大半を失った。以後伸び切った南太平洋占領地への補給は不可能となり、敗戦まで戦域では守勢一方となった。その間天皇の軍部に対する指示はますます具体的であり広大な戦域のなかでも「ただ一回の大勝利によって戦争の終結を探る方針」にこだわり続けた。
 
1944年1月それはフィリピンレイテ湾で初の自殺的特攻作戦となったが(その報告を受けたとき天皇は一人椅子から立ち上がって数分間最敬礼を続けたという)、結局連合国への切り札とはならなかった。にもかかわらず天皇は自他の国力、軍事力の大差を軽視した戦争を続けざるを得なかったのである。
 
1944年時点ですでに連合国首脳は、勝利後の日本占領下の日本統治についての会議を重ねており、一方ヨーロッパではドイツの勢いは急速に下降の一途であり、イタリアはすでに降伏し、第二次世界大戦はほぼ終っていた。1945年1月以降サイパン、テニアン等を失った日本はボーイングB29の大編隊の空襲にさらされ、「大東亜戦争の敗北」は必至な状態であった。
 
国内の一部では降伏も止む得ないとする議論も出始めていたにもかかわらず、天皇は頑固に戦争継続の意思を捨てなかった。それは彼自身の問題より「国体の継続」を重視したからだと著者は考えている。
 
だが無論、国民の大多数は無条件降伏など信じていなかった。国民もまた神風を信じて待ち続けていたのである。
 
もう誰もが戦争に勝つなどとは考えていなかった1945年8月6日の朝、ただ一機でやってきたB29が投下した一発の原子爆弾で広島の街は廃墟となり、9日の長崎で同じことが起ったとき、ようやく天皇の決心は固まった。そして8月15日正午に国民は天皇の肉声による終戦のラジオ放送を聞いた。初めて聞く天皇の声は甲高く句読点を無視したような読み方はとても聴き辛かったが、意味はよく判った。負けたのだ。それも無条件降伏で。
 
9月早々占領軍がやってきて全ての価値観が変わったが、そのことは予想に反してそんなに悪いことはほとんどなかった。当時の記憶のなかでの一番は食べ物がなかったこと、占領軍が大量の食糧を供給してくれたこと、たまにどこからか手に入るアメリカ軍の携行食の充実ぶりや、キャンデーの包装の美しさに彼等の実力の高さを知ったことだ。
 
天皇の価値はあっという間に変り、笑い話のタネになったりした。しかし国民の天皇家に対する敬愛は変わらず、ただ手品のタネを見たような感じだった。
 
この本をやっと通読して思うのは、私が小学校2年生の12月8日以来6年生の8月15日までずっと感じていた戦争の経過へのなんとない不安とほとんど変らなかったということだ。ただ多くの戦闘での大本営発表が多くの事実を曲げていることもはっきりした。終戦の引きがねを引いた「広島、長崎への原爆投下」と日本の負けが判ってから「ごちそうにありつきそこないたくない猫」のように、条約を破って攻め込んできたソ連のズルさもその時感じた通りである。
 
昭和から平成を引継いだ昭仁上皇と比べて、父昭和天皇は余りにも運悪く辛い日々を過ごしたのだと改めて思う。ただし神話から離れても天皇家への国民の敬愛は(マッカーサーが天皇との三度に及ぶ会見でそれを見抜き、占領統治に活用したように)少しも変わらず神話は長く続いた伝統と文化への思いに変わった。
 
私自身の事をいえば本当に運の良い時間を過したものだとつくづく思う。10年いや5年早く生まれていたら、多分この本を読み真実を知ることもなかったと思う。非日常の怖さと面白さを知り「自分」を確立することを知ったからだ。
 
逆に、これから生まれてくる子どもたちはそうはいかないだろう。戦争が嫌いなのは当たりまえだが、ただ「イヤだ」と云っていればそれですむと考える国民が多いこの時代、地球を滅ぼすかもしれない戦争が起るかもしれない、しかもそれは今眼の前にある現実なのだと思う時に、この本はやはり一度は読んでおくべきだろう。