意識と感覚のない世界 実のところ、麻酔科医は何をしているのか
著 者:ヘンリー・ジェイ・プリスビロー
出版社:みすず書房
ISBN13:978-4-622-08866-0

全分野に精通した医師の活躍を知る

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

吉井潤 / 図書館総合研究所
週刊読書人2020年7月24日号(3349号)


みなさんは、麻酔科医と聞いて何を思い浮かべるだろうか。医療系ドラマでは外科医の華やかな手技が演出され、麻酔科医は脇役になっていることが多いことから、その実態はあまり知られていないのではないだろうか。著者曰く、麻酔科医は、通常舞台裏の医師であり、ケアを提供した後は忘れ去られる存在であると。
 
本書は、アメリカの麻酔科医が自身の経験等を記した医療エッセイである。著者のヘンリー・ジェイ・プリスビローは、30年以上麻酔科医として経験を重ね現在は子どもに対する麻酔を専門とし、年間平均1000人に麻酔処置を行っている。著者が麻酔を行ったのは、十一カ月の乳児、四歳、ティーンエイジャー、メスのゴリラ等幅が広く、それぞれの様子をわかりやすく綴っている。
 
著者は常によりよい麻酔管理の方法を模索し、バイタルサインを表す麻酔記録は起伏が激しくなく平坦でまっすぐのまま完了し、麻酔計画通り終わることを目標にしているが、実際には思っていた通りにいかないこともあるようだ。
 
さらに著者は、手術前から患者に対して麻酔のマスクの恐怖心を取り除くために苦心している。その様子は第5章に記され、子どもが意識を失うまでノンストップでしゃべり続けていた。また、全身麻酔が必要な手術は絶飲食を行うことが多く、手術経験のある方は一度は「なぜ」と思ったことはあるかもしれない。その理由は、第6章絶飲食で著者の不安と戸惑いの記述の中に示される。胃の中に食べた物が残ることは合併症のリスクを高めるからである。やはり絶飲食は重要であると思い知らされる。
 
本書は、医学の知識はなくても読みやすいものである。けれども、私は以下の3点について述べているとより麻酔科医を知ることができたと考える。
 
1点目は、第2章の終盤に「エピネフリンは麻酔科医の救命用具なのである」とあるが、日本ではアドレナリンの方が世間一般に知られていることからかっこ書き等で記した方がより緊迫感が読書に伝わっただろう。2点目は、麻酔の方法についてもう少し述べているとわかりやすかった。一般的に全身麻酔は、点滴から薬が入る静脈麻酔と、マスクで麻酔薬を吸入する吸入麻酔があり、多くは併用する。第3章で子どもには点滴による麻酔をあまり行わないとあったが、詳しい理由に触れて欲しかった。麻酔の性質なのか、子どもが怖がって暴れるから嗅がせるマスクの方がやりやすい等想像できるが。3点目は、あまり知られていない麻酔科医の普段の生活についてもう少し垣間見たかった。麻酔科医は、皮膚科、眼科と同様に他科と比べて女性医師は多く、家庭との両立がしやすい等QOL(クオリティ・オブ・ライフ)は高いと言われている。第8章のゴリラの治療では、著者は動物好きの娘を病院に連れて行き会わせたりしていたが、家庭生活、余暇や趣味を楽しんだりしているのか私は興味を持った。
 
さりとて、この3点は本書の重要性を損ねるものでは決してない。よく知られていない麻酔科医の経験と考え方を知ることができる意義のある1冊である。