リーチ先生
著 者:原田マハ
出版社:集英社
ISBN13:978-4-08-771011-3

文化の架橋となった男の「陶芸」
という「冒険」に賭けた物語

寺田操 / 詩人
週刊読書人2017年1月13日号


「リーチ先生」とは、イギリス人の陶芸家バーナード・リーチ。幼少期を京都で暮らし、ロンドンでエッチング技法を学んだ後に再来日。白樺派や民芸運動の人びと交流し、西洋と東洋の文化の架橋となったことはよく知られている。
 
プロローグは、全国の窯元を訪ね歩いていたリーチが、一九五四年春に大分県小鹿田で三週間滞在するため、迎える準備にてんやわんやの村落の人びとの姿からはじまる。小鹿田の名には覚えがあった。一九七〇年大阪万博の日本民芸館出展の図録だ。一品目の小鹿田窯「せんべい壺」は、50センチ弱の焦げ茶色の壺、上から下へと流れる破線模様、中心に「せんべい」の大きな文字。瀬戸や備前の壺、丹波立杭の徳利などとは明らかに違う。大ぶりで素朴な雑器は、あたたくて面白くて手をのばして触れたくなる。
 
「知る前にまず見よ」と、柳宗悦の目で蒐集された面白い壺の図版を眺めていると、宗悦が小鹿田を訪れた場面を、目の前で見ているような感覚に襲われた。戦前に何の前触れもなくやってきて各窯元を一戸一戸訪ね歩き、焼き物を見せてくれと頼んでまわった宗悦の獲物を狙う鷹のような目がズームアップ。縁側に並べられたさまざまな種類の焼き物を眺めた宗悦は、ため息をつき、好い、好い、実に好いと何度も言い、一つ残らず代金を払い帰っていった。その宗悦の強い勧めで、リーチは濱田庄司や河井寛次郎とともに小鹿田へやってきた。
   
到着早々、あんころもちの大鉢を手元に引き寄せて、「実に好い。この模様。素朴だが美しい」と感嘆したリーチに、「用の美」を発見する柳宗悦の「目」が重なった。半農半陶生活が当たり前の小鹿田の焼き物は日常雑器である。滞在中のリーチのお世話係になった沖高市は、「地元の者にはわからない何かすごい力がここの焼き物にはあるのだろうか」と、陶芸を強く意識した。椀や鉢に興味を持ち、奇をてらわない感想を述べるリーチたちは、無名であることの尊さ「民芸」を求めて小鹿田にやってきた客人だ。生活に密着した味わいがある小鹿田窯の「民陶」を陶工たちに再認識させ、高市は亡父がリーチの助手であった不思議な縁を知った。
 
エピローグは、陶芸家になった高市が、心の師リーチ訪ねる一九七九年四月。父沖亀乃介がリーチと出会った一九〇九(M四二)から七十年後のことである。父と子の二代にわたる「リーチ先生」との関わり、その凝縮された二章から五章の時間軸から、陶芸という窯のなかで燃えるリーチの劇的な人生が浮き彫りにされる。窯出しの失敗から生れた翡翠の水鳥のような青磁の壺が仕上がる奇跡。窯を全焼させたこともあった。亀乃介と濱田庄司を伴ってイギリスへ帰国し、芸術家と職人が共に陶芸にいそしむ理想の「陶芸工房/ポタリー」を開いた。リーチの足跡が、伴走者・亀乃介の目を通して語られ、土と炎を結びつける人間の手技、神秘の現場に息を呑んだ。
 
史実に材をとったアート小説は、取材と経験が作品を奥深くする。登場人物のすべてが実在とは限らない。だからミステリアスなのだ。時代を、国境を超え、人と人を繋ぎ、芽吹く陶芸の種。リーチの「陶芸」という「冒険」に賭けた物語は、無名の陶工として生涯を終えた亀乃介の物語でもあった。焼き物を創る丸まったリーチの背中に、高市が父を重ねるラストシーンの詩情には心打たれた。(てらだ・そう=詩人)

★はらだ・まは=作家。関西学院大卒および早大卒。著書に「カフーを待ちわびて」「太陽の棘」「楽園のカンヴァス」「ジヴェルニーの食卓」「暗幕のゲルニカ」「ロマンシェ」など。一九六二年生。