漱石深読
著 者:小森陽一
出版社:翰林書房
ISBN13:978-4-87737-447-1

浮かび上がる漱石の小説の鮮やかな変容

「情報を取る」読み方に対置する読みの構

佐藤泉 / 青山学院大学文学部教授・近現代日本文学
週刊読書人2020年8月7日号


新自由主義が人間の変革を要求する思想運動なのだとしたら、教育がそのターゲットとなるのは見やすい流れである。現在進行中の国語教育改革が促進するのはもっぱら「情報を取る」読み方であるが、そこから今後どんな人間が生み出されることになるのだろう。人が言語を反射的に処理する情報処理装置のようになった状態。それが教育を通して達成すべき理想であるなら、そこには自由な意思や民主主義が作用する余地はない。それ以前に、私たちは比喩も反語もない世界、完全に字義通りの言語に覆われた世界に生きることになるのだろうか。その言語的ディストピアに住まうのは、裏も表も抑圧も、フロイト的無意識もない人間となるのだろうか。未来を妄想し始めれば憂鬱な世界が果てなく広がっていく。情報を取る読み方に対し、「深読」という読みの構えを対置しよう。そして、本書から正規の深読を学ぶことにしよう。
 
著者小森氏は、一九九〇年代の夏目漱石ブームのなかで、漱石研究を代表する存在と認められ、その後も作家について、作品について書き続けてきた。「こゝろ」をめぐる解釈の差異を「論争」として構築した論争家としても広く認知されている。本書の各章は、漱石の各作品の冒頭部一ページ程度を引用し、その分析から作品の全体を一定の長さで論じていくという形式をとっている。これは雑誌に連載した際に各回の統一を図るための制約であり、きわめて実務的なテンプレートと言えば言えよう。だが、こうして一冊にまとまると、共通の制約内で分析がなされたためにこそ、そこで明らかになってくる違いが興味深い。漱石作品が各時期ごとに鮮やかな変容を遂げるさまがそこに浮かび上がってくるのである。
 
本書に従って初期の作品「吾輩は猫である」「坊っちゃん」の「深読」を追体験してみよう。「然(しか)もあとで聞くとそれは書生といふ人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕へて煮て食ふという話である」といった冒頭の一節を取り上げて、本書はそこからカニバリズム幻想の問題、つまり新大陸先住民を食人を習慣とする「野蛮人」と見なすことで無差別の殺戮が容認されてしまった歴史へと及ぶ。また飼い主によって産まれたばかりの子猫を捨てられてしまった親猫の「白君」は、「我等猫族が親子の愛を完(まつた)くして美しい家族的生活をするには人間と戦つてこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬ」と縷々訴え、まことにもっともな議論と「吾輩」はこれを聞き届けるのだが、これら一連の語法を通して本書は、大日本帝国の現状にも及ぶ帝国主義的植民地主義を告発する本作品の基本構図を見出している。特に言及されないが、カニバリズムのレトリックに依拠して語る猫族が、他方で独立闘争を誓う猫族でもあるなら、その立場は必ずしも一定していない。ということは猫たちの文体は、告発という直線的な性格のものでなく、洗練された反復、文体模倣とみるべきだ。文体模倣が告発よりも批判力において劣るものでないことは言うまでもない。
 
四国の中学校に赴任した「坊っちゃん」の主人公は、宿直の晩に生徒との間で乱闘事件を引き起こす。本書によれば、その「宿直」とは、火災などに備えて「御真影」および「教育勅語」を守るのが本来の任務だったということだ(宿直室にイナゴを放り込むのは不敬行為である)。こうした歴史的な語彙の細部を深読みすることから浮かびあがってくるのは漱石の初期作品とリアルタイムで進行していた日露戦争、あるいは国民ぐるみの総力戦に傾斜していく当時の社会である。これに対し、章がすすむごとに本書の分析の関心事は、歴史の細部よりも作品の語りの構造、およびその揺らぎ、あるいは作品に内在するかぎりにおいてのジェンダー、家族制等へと移行していく。「心」を取り上げた章では、「私は其人を常に先生と呼んでゐた。だから此処でもたゞ先生と書く丈で本名は打ち明けない」と始まる冒頭部分を詳細なうえにも詳細をきわめて読む。すなわち私という一人称、其人という対象指示、先生という呼称が作り出す時空と、それを読もうとする読者の欲望、人称の揺らぎとが一つならざる意味を生み出す様をたどっていくのだ。たとえば、「先生」はかつてそう呼び掛けていた音声であり二人称的呼称であるが、「先生」の二文字を書くときには二度とそう呼び掛け、言葉を交わすことのできない存在として三人称化されている。その揺らぎを取り込むことが主題のレベルにあっても死活的な問題となることが論じられていく。
 
初期作品が、深読みを要求する歴史の細部に満ちていること、中期から後期にかけて、より繊細な語りの震えを読み取るべく構成されていること。漱石の小説は動的に変容しており、それに応じて深読の方向は異なってくる。しかもその方向を作品そのものが指し示しているのである。(さとう・いずみ=青山学院大学文学部教授・近現代日本文学)
 
★こもり・よういち=東京大学名誉教授・日本近代文学研究者。著書に『戦争の時代と夏目漱石』『手塚マンガで憲法九条を読む』『漱石を読みなおす』など。一九五三年生。