肥満と脂肪の文化誌
著 者:クリストファー・E・フォース
出版社:東京堂出版
ISBN13:978-4-490-21033-0

脂肪が与えるもの

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

山崎美智子 / TRC データ部
週刊読書人2020年9月4日号


 現代ではとかく「不健康」「自己管理能力の欠如」とみなされがちな肥満と脂肪。肥満に対する否定的な感情は、20世紀初期以降、特に増幅したと言われています。それはなぜなのでしょう。

 脂肪に対する根源的なイメージは、農業由来のものです。収穫を産み出す「肥えた」土壌のイメージが、脂肪につながりました。それは生命の源、成長といったポジティブなものであり、同時に、腐った有機物や糞便を含んだ、過剰な成熟による腐敗や死をもたらすネガティブなものでもありました。

 そこからさらに、財力、威厳、権力、成功や、強欲、堕落、怠惰、無能などといったイメージが派生します。遥か古代から脂肪は、ポジティブとネガティブ両方の相反する矛盾したイメージを持つ、時代時代で曖昧に解釈されてきたものだったのです。

 それが変化したのが、近代です。工業製品のように合理的かつ効率的な肉体を持つことをめざす「肉体のユートピアニズム」が、脂肪を迅速性や効率性を損なう、無駄でしかない存在へと追いやりました。現代に入り、ネオリベラリズムのセルフコントロールの思想も加わった結果、肥満は「自己管理能力の欠如」を表す最もわかりやすい象徴になってしまったのです。

 「肉体のユートピアニズム」とは、限りある生命を持つ人間が、混沌とした有機物である肉体の超越を夢見ることです。生物にとって不可避の腐敗という現象を想起させる脂肪は、死の克服という願いの非実現性を、否応無く人間に思いしらせます。脂肪は、己の理想の虚しさと望まざる現実とを、再認識させる存在なのです。脂肪が歴史上これまでになく嫌悪される理由は、ここにあると著者は言います。

 肥満に対する嫌悪は、ときに他者への攻撃に繫がります。その嫌悪の源はどこにあるのかを理解し、人間が古来より抱いてきた、脂肪に対する曖昧で矛盾した感情を知れば、人は違う方向へ進むことができるかもしれないと、最後に著者は言っています。

 西洋における脂肪に対する感情の歴史をたどる本なので、非西洋圏のアジア・アフリカの文化については、西洋人には肥満を尊ぶ野蛮で原始的なものとみなされたという形でしか登場していません。その点は少し物足りなくはありますが、西洋の肥満蔑視の背景には、植民地支配と人種差別の要因もあるという見解は印象的です。また、近代フェミニズムは、女性性の象徴であり有機物としての生の象徴でもある脂肪からの解放をめざす運動だったという指摘には、それがのちに女性を苦しめる過剰な痩身願望へと繫がったことを思うと、興味深くもあり切ない気持ちにもなります。

 人種、体型、性別等含むあらゆる多様性を尊重しようという運動や、プラスサイズモデルの登場など、現在の私たちを取り巻く環境にも、少しずつ変化が起こっています。脂肪に対する感情にもまた、変化は起こっていくかもしれません。