パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会
著 者:ミシェル・クオ
出版社:白水社
ISBN13:978-4-560-09731-1

迷える足元に差し込んだ本と
言葉と情熱という光

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

松村幹彦 / TRC 仕入部
週刊読書人2020年9月4日号


 ミニシアターで封切られた一本の映画を見終えたような読後感だ。

 ハーバード大学を卒業し、弁護士資格を持つ台湾系アメリカ人の著者は、約束された将来を自らいったん保留し、かつて自分が心から魅了された黒人文学を通して子供たちにアメリカの歴史を教えようと、両親の反対を押し切ってミシシッピの貧困地域にある底辺校の教壇に立った。彼女はもとより人権活動に熱心であったが、その原動力は単なる気まぐれなボランティア精神ではなく、両親が移民として移り住んだアメリカから受けた差別や偏見と、自らも痛いほど味わったマイノリティとしての経験であった。眼前にいるのは奴隷解放と二十世紀初頭に起きた南部から北部への黒人の大移動の中で去ることのできなかった者、取り残された者の子孫である子供たちである。

 彼女が出会った黒人の少年パトリックは十五歳。貧しい家庭で生まれた彼は五歳でドラッグの売買を目の当たりにし、十一歳の時には火遊びで大やけどを負った。ものごころつく前から暴力や犯罪は日常の光景であり、すでに教師である彼女の何倍も人生の負の側を見ている。当たり前の尺度なら「すでに終わっている子供たちの一人」にすぎなかった。しかし彼は他の子とは違い、努力をしたがり、励ましてもらうことに飢えていた。それを見抜いた彼女の指導のもと、彼は単語を覚え、詩を書き、本を読むことで持ちえた能力を開花させ、勁く育ってゆく。運命がゆっくりと好転し始めたところで、当初の予定通り彼女もこの地を離れ二人は別々の世界を歩み始める。

 さしずめ小説なら大団円で終わるところだが、やはり現実は甘くなかった。読者は次の章でパトリックが殺人事件で逮捕されることを知り打ちひしがれる。そして彼女が見出したもっとも才能を持つ教え子は、拘置所で一切の輝きを失ってしまっていた。アメリカの場末の拘置所くらい一人の少年の才能を短期間かつ完全に擂り潰すのにうってつけの場所はない。しかしそこでも彼女は投げ出さなかった。彼の再生のために拘置所で開いた二人だけの読書会のテキストはC・Sルイスの『ライオンと魔女』だった。なんという素晴らしいテキストだろう。徐々に彼が学校で見せていた「いい顔」を取り戻してゆく場面は一枚の敬虔な宗教画を見ているようである。

 私は本を売るのも買うのも読むのも好きだが、本を唯一無二の存在だとは思わないし、メルヘンチックに語る趣味もないが、本を通して作者や自己と対話することが自らを救うことを知っている。これはある一生忘れられない出来事によるのだが、それを語るための紙幅は尽きた。それよりも今は彼らを想いながら『ライオンと魔女』を読み返したい。今年もまた読書週間がやってくる。その時は本書も読み返すつもりだ。