室町時代の祇園祭
著 者:河内将芳
出版社:法藏館
ISBN13:978-4-8318-6263-1

祇園祭の歴史から何を学べるか

室町時代の祇園会の実像にせまる

松田俊介 / 早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員・文化人類学・祝祭理論
週刊読書人2020年9月4日号


 本書は、日本三大祭のひとつ、「祇園祭」をめぐり、もっとも盛大だったとされる室町時代を対象に探究したものである。本来七月実施だった今年の祇園祭は、コロナ禍の影響により中止となった。社会的休止を余儀なくされ、伝統行事が実施困難な状況のなか、疫病とも関係深い祇園祭の歴史から、われわれは何を学べるか。

 著者は、中世京都を専門とする歴史学者で、祇園祭についての著作も多い。本書では、室町時代の祇園会(当時の史料表記)を「現在みられるかたちの出発点」としており、その実像にせまることを課題としている。そのため、一般書というより多様な史料から細部を積み上げて解読していく、やや歴史学に明るい読者向きの好著といえるだろう。

 たとえば、祇園会の神輿は、駕輿丁という人々によってのみ担がれて渡御していたが、彼らをめぐる喧嘩も数多かったことが神社文書などで示される。しかし、著者は「駕輿丁が、宿所の二階上の桟敷を『見下ろすべきでない』と壊すよう責めた」事例をあげ、「荒くれだったわけではなく、神がのる輿にもっとも近くに供奉していたから」と述べており、一つの読み方として首肯できる。

 また、幕府将軍・足利家家督の祇園会見物は、政治性色濃く実施されていたという。「定例化していた」という旧説を翻し、著者はそれぞれの複雑性と政治的意図を分析する。それによれば、歴代の室町殿は、見物桟敷をつくる宿所選別や、日取り、山鉾巡行路の指定など、独自の姿勢をとっていた。とりわけ義持は、祇園会見物を称光天皇・後小松上皇に手配しており、著者はこれを当時の政治権力がこの三者によって成り立つことを明示するものだったと強調する。

 室町期に隆盛した祇園会だったが、応仁の乱の影響を受け、三三年間にわたって中断される。復活できたのは僥倖であり、一五〇〇年の大火事「中京火事」が「祇園の祟り」とみなされたことで神勅が発せられ、政変直後の幕府が強引に祇園会を再興したという背景があった。今般のコロナ禍にしても、日本の伝統行事の実施に与える影響は計り知れない。われわれは、習俗が以前のまま継続することを当然のように感じてしまうが、疫病や戦争、自然災害のような脅威に直面したとき、その思い込みはあっけなく崩壊する。著者が「祭礼が残され、伝えられていくこと自体が偶然の産物であり、奇跡ととらえるべきか」と述べるように、伝統維持の成功はそれだけ得がたいものだ。一度途絶えた文化を復興させるには、しかるべき時機と、押し進めるエネルギー、そして社会の受容が必要なのである。

 本書評では、疫病をめぐる祇園縁起についての本書の見解は省略するが(二三八頁)、少なくとも、室町時代の祇園会も、当時たびたび蔓延していた疫病の除却を祈願するものだったという。しかし、疫病の状況についての本書の記述は限られていたため、よりくわしく読みたかったところである。当時の日本人が疫病にどう対処したか、儀礼はどう機能したか。浩瀚な史料をもって中世京都を研究する著者だからこそ、われわれが現状を考えるさらなる手がかりとなる論考を今後期待したい。(まつだ・しゅんすけ=早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員・文化人類学・祝祭理論)

★かわうち・まさよし=奈良大学文学部史学科教授・日本中世史。著書に『宿所の変遷からみる信長と京都』『戦国仏教と京都 法華宗・日蓮宗を中心に』など。一九六三年生。