世俗の時代 上
著 者:チャールズ・テイラー
出版社:名古屋大学出版会
ISBN13:978-4-8158-0988-1

待望の〝第三の主著〟の翻訳

宗教問題に関する集大成

福間聡 / 高崎経済大学教授・社会哲学・倫理学
週刊読書人2020年9月18日号


 本書はマギル大学哲学名誉教授であるチャールズ・テイラーによる、北大西洋世界における「世俗化secularization」の来歴と行く末について考察している大著の翻訳である。原書の874頁も浩瀚ながら、本邦訳は二段組みで上下巻からなり、1000ページを超える大編となっている。様々な哲学的問題を検討してきたテイラーにあって、宗教の問題はA Catholic Modernity? (1999)以来第一の関心事であるが、その集大成がこの『世俗の時代』である。このような大著であり、また宗教哲学を専門としていない評者には本書全体に関する書評は力に余る。それゆえ評者の専門である社会哲学・倫理学の視座から、テイラーが世俗化の現象を論究するにあたって用いている諸概念や、世俗化と道徳的秩序の関係に焦点を絞って評したい。それゆえ全体に渡る解説は本書の「訳者あとがき」や専門学会誌の書評を参照してほしい。

 本書では北大西洋世界(東方正教会と区別される、ラテン系キリスト教世界)における世俗化の現象が1500年から2000年という5世紀に渡り考察されている。従来、世俗化は科学や科学技術、合理主義(道具的理性)の進展によって促されたという説明が一般的であった。しかしながらテイラーはこの単純化された説明に満足しておらず、このことが本書を執筆する理由にもなっている。近代の世俗化に関してリニアな筋道を描き出す説明は擁護できるものではなく、「意図したところとは異なる多くの結果を生んでしまったというジグザクな説明」をテイラーは本書で提示している。(それゆえこのような大部の書となっているのであるが。)

 テイラーによれば世俗化とは、「神を信じないことが実際に不可能であった社会から、神信仰が、最も敬虔な信仰者にとってすら、複数あるなかの一つの人間的可能性でしかない社会への移行」を意味している。現況にあっては、「多くの人は、純粋に内在的な目標に即して人生を生きることで満足している。人々の多くは、超越的なものについて考慮することなく人生を生きている」が、これが世俗化された社会の特徴である。テイラーは「世俗的」という言葉に「宗教と結びついていない」という意味を込めていない。「世俗的」の本来の意味は「時代に属する」ということであり、我々の生や目標が高次の時間や永遠ではなく、この世(現世)の時間に属することを表している。



 それゆえテイラーの世俗化論の特徴の一つとして、北大西洋世界の世俗化は「排他的人間主義」の到来とともにもたらされたという見解を挙げうる。この排他的人間主義とは「人間の開花繁栄」を超え出るいかなる「高次の」目標も受容しない立場であり、「超越的な」神を愛し礼拝することを人生の究極の目的としない人間の在り方を意味している。近代以前の、魔術化された世界にあって自己は「多孔的」な自己として、コスモスを構成している超越的な諸力を有する神々や精霊から影響を受けやすい存在であった。このコスモスの中には悪霊のような邪悪なものや破壊的なものも存在し、悪に対する砦として、神の善なる力に助けを求める以外に方法はなかった。他方近代的な自己は「緩衝材に覆われた」自己であり、自己の精神の外部にあるすべてのものから自分自身を分離することが可能な存在であり、自らを事物の意味の所持者であると理解している存在である。緩衝材に覆われた自己は精霊や魔術的な諸力をもはや恐れることのない行為主体であり、これらの諸力はもはや人間世界に影響を与えることはないと理解された。魔術化された世界にあっては、人間は意味を自己の「外部(超越的なもの)」に求めていたが、近代的な自己は意味を自己の「内部」に見いだすようになった。それゆえ病気や低次の情念、暴力の衝動なども外部の悪霊や精霊が引き起こすものではなく、自己の内部に原因を持つと見なされるようになったのである。

 緩衝材に覆われた自己は、17世紀に、理性の力によって「規律訓練」を自らに課すことが可能な主要なエリート層の間で形成が見られたが、こうした動きは個人の行動の改善を目的とすると同時に、社会の改革と再形成を促した(自分たちのみならず、社会のあらゆる人に「シヴィリティ」を植え込むことを目的とした)。この緩衝材に覆われた自己を生み出すためには、脱魔術化以上のもの、すなわち道徳的秩序を生み出す人間自身の力能への確信を持つことが重要であったとテイラーは論じている。前近代の秩序理解は、神の意志や太古からの法、あるいは事物の道理に基づく「階層制的相補性」(聖職者は平信徒のために祈禱し、平信徒は聖職者のために防衛と労働を行う)の秩序であった。この秩序にあって貧者は施しによる聖化の機会を提供する存在として、補足し補完し合う関係が領主や市民とあった。それゆえ貧困の廃絶を試みることは想定できないことであった。他方ジェントリー階級や雇用主といったエリート層にあっては、貧者の都市への流入は公共的秩序の脅威と見なされ、救貧法に基づいて彼らに規律訓練を課すことで安全でよく秩序づけられた社会が建設可能になると考えられたのである。  ここで注目したいのはエリート層が生み出したとされる「近代の道徳的秩序」である。テイラーによれば、この道徳的秩序は市民=商業社会を背景にした「相互利益」の秩序である。個人を出発点とし、個人の権利と自由を擁護するために政治社会は設立されるのであって、権利・自由・相互利益は社会のすべての成員に平等に保障されるべきであることをその特徴とする。この秩序に基づく社会は、各人は自らの人生の目的を追求するなかで、相互利益の享受のために相互の権利を尊重し、特定の援助を互恵的に提供し合うよう設計される。こうした社会の基本原理を初めて明示的に定式化したのはロックである。しかしながら、「人々の相互行為は真に相互に利益をもたらす」という近代の道徳的秩序の基本原理を充たすためには、お互いの権利を尊重するというルールに適応していれば各人がそれぞれ最大の自己利益を追求することで相互利益は自ずと生じてくるというロック的な「ミニマリスト」の倫理では不十分であり、より強力な倫理、共通善とのより緊密な同一化、そして強固な連帯が必要とされるとテイラーは論じている。そうした近代の道徳的秩序の「改訂」の流れに位置づけられるのがルソーとマルクスである。

 本書の終盤においてテイラーは、世俗の時代において取り組むべき要求として、「人権と幸福(福利)への極めて強力な普遍的コミットメントに適った生き方を可能にする道徳的源泉を見つけ出すこと」、および「暴力への逸脱を回避する方法を見つけ出すこと」を掲げている。これらは近代の道徳的秩序によっては十分な回答を与えることができない問題であり、宗教的信仰を有するにせよ、排他的人間主義の立場を支持するにせよ、21世紀の我々が解決しなければならない課題である。

 本書は大変熟れた文章となっており、丁寧な訳補からも訳者の方々の尽力が窺える。テイラーの第三の主著が日本語で読めることに感謝したい。(千葉眞監訳・石川涼子・梅川佳子・高田宏史・坪光生雄訳)(ふくま・さとし=高崎経済大学教授・社会哲学・倫理学)

★チャールズ・テイラー
=マギル大学名誉教授・哲学者。著書に『ヘーゲル』『自我の源泉』『今日の宗教の諸相』『実在論を立て直す』など。一九三一年生。