私は本屋が好きでした
著 者:永江朗
出版社:太郎次郎社エディタス
ISBN13:978-4-8118-0839-0

つくり手、売り手としての本と、
買い手、読者としての本

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

小川俊彦 / TRC顧問
週刊読書人2020年9月25日号


 最寄り駅近くのスーパー内にある本屋が歩いて行ける唯一の本屋である。子どもの頃から時間があったら本屋に行くという習慣があったので、今でも時間があると本屋に行く。しかし、その書店入口の平台には、いつもヘイト本とそれに類する雑誌が積まれているので、腹を立てないために平台には近づかないようにしている。

 それにしても、なぜこんなにヘイト本を並べるのか、ここの店主は読者・住民を見くびっているのではないか、とずっと考え続け、答えが出せなかったので『あふれるヘイト本』という言葉にひかれ、この本を読み始めてみた。

 ヘイト本とはどのような本を指すのか、本屋を含め、売ることにかかわる人たちは何を考えて売っているのか、つくり手、つまり著者、編集者、出版社は何を考えて出版に結び付けているのか、主たる買い手はだれ(40代~60代、70代の男性が多い)ということについて、それぞれの立場の人とのインタビューを交えて解き明かしてくれている。

 ヘイト本の定義に関して、著者はヘイトという概念を「その人の意思では変えられない属性―性別・民族・国籍・身体的特徴・疾病・障害・性的志向など―を攻撃することばは、批判ではなく差別です。…批判とヘイトは違います。」と定義している。

 本屋は小売業なので売れる本を置きたい。しかし、売りたい本を自由に仕入れることができないという、日本の出版界独特の事情があり、返品は可能であるが、売れるものなら売ってしまいたいということで、ヘイト本も店頭に並ぶことになる。

 本に対する、関わり手としての責任がないのか、ということが問われることになるのだが、つくり手から売り手までの、すべてとは言えないが多くの人たちが「売れるから」「買ってもらえるから」ということだけで、特別に考えることもなく売っていることが見えてくる。

 差別という大きな問題を内蔵しているヘイト本が、このようにつくられ、流され、売られ、差別される側の痛みが無視されていることを、「本屋大賞」という大きな流れをつくってきた書店関係者にぜひ読んでもらいたい。

 読者・買い手は本屋を信じているから、そこに並んでいる本はお薦め本であって、いわゆる「いい本」だと思って立ち読みし、買っている。本屋大賞もその流れの先にあるものと考えていた。しかし本屋大賞は「もっともすぐれた作品」を選ぶのではなく、「もっとも売りたい本を選ぶ賞」であり、1万1千店の日本の書店による人気投票とされている。しかし、2017年の一次投票ではわずか446書店564人、二次投票は288書店の346人が、もっとも売りたい本を選び出していたというのである。ヘイト本のことではないが思いがけない指摘であった。

 言われてみれば何も考えないで信じていた側にも責任はあるのだが、図書館でも利用者からの要求があるからと、ヘイト本であっても提供することもある。読書の自由、提供の自由と合わせて、差別される側の気持ちをどう考えるべきか、改めて考えてみたいものである。アメリカで起きた人種差別問題を他人事としないためにも。