バケモンの涙
著 者:歌川たいじ
出版社:光文社
ISBN13:978-4-334-91351-9

「子供に食べさせたい!」その一念

生き地獄の記憶から、「バケモン」製造までの冒険談

岩尾光代 / ジャーナリスト
週刊読書人2020年9月25日号


 最初はスローテンポで物語がはじまる。

 「事実をもとにしたフィクション」と、ある。

 まずは、「バケモン」とはなにか。穀物膨張機、アメリカで「パフライス」と呼ばれた「ポン菓子製造機」のことだ。大きな音がする機械を、主人公の父親は「バケモン」と言い、母親は出てきた菓子をその「涙」といった。離別して去る母親と、細い糸でつながる思い出の味だった。

 戦後まもない時代に育った評者には、なつかしい響きがある。

 ポンせんべい、ポン菓子。どちらもリヤカーで路地に入り込んで、お米と五円玉をもっていくと、つくってくれた。ポーンっと大きな音を立てるが、ポン菓子のほうが、爆発音とよべるほどの大きな音がして、蓋を開けると筒からふくらんだ米がばらばらと出てくる。飴がからめてあったり、塩味だったり。ポップコーンの米粒版といえば、わかりやすいだろうか。

 物語の舞台は大阪近郊の旧家、主人公はそこの長女で幼い時から機械好きの代わり者。国民学校(戦時下の小学校のこと)の訓導と呼ばれる教師をしていた十九歳の女性。

 これは、主人公・橘トシ子が、思い立って、ポン菓子の製造機を作ろうとする物語だ。

 食べる物がない。煮炊きするマキも炭もない。戦争がすべてに優先して、あらゆる物資が不足し、子供たちは栄養失調から病気になっても闘う力がなく、トシ子たちの教え子も亡くなった。

 「子供に食べさせたい!」その一念が、機械製造にトシ子を駆り立てる。

 米粒を圧縮して弾く機械を作るには、まずは「場」がないとできない。円筒を造る鉄もない、資金はどうするのか。

 トシ子は、なにも考えずに立ち上がった。

 数々の困難を乗り越える奇蹟の連鎖があった。小説でなければ書ききれないドラマと、思いがけない人たちの物心の援助が奇蹟を生んで、いつしかスピーディに進む「冒険談」のテンポに引きずり込まれ、手に汗を握って顚末を追っている。

 その流れの底にあるのは、「戦争」の惨ごたらしさ、そして見え隠れしながらだが、「自分らしさ」を追い求め、あるいはどん底から這い上がった女たちのたくましさだった。

 昭和二十(一九四五)年三月、東京に続いて大阪も米軍の大空襲に見舞われた。

 トシ子は教え子の家に走った。前後の見境いもなく、四千人が死んだ空襲の真っただ中に飛び込んでいったのだ。

 逃げ惑いながら、トシ子は炎に生きて焼かれる赤ん坊と母親に出会った。その後、何度も悪夢に悩まされる生き地獄がそこにあり、その記憶が「バケモン」に立ち向かう原動力になる。

 思いがけず縁談が破れて、祖母と父親が「事業」の支援をしてくれることになり、舞台は北九州の戸畑(現北九州市)に移った。

 ゴツゴツしていそうな鉄鋼の町の物語は、関西弁と九州弁の会話で、グンと近いものになる。

 コトが決められるのは日本製鉄の総裁しかいないとわかると、最後の奇蹟が起きた。職工たちが入りびたる酒場の女将がこれを引き受けた。その陰には、これも悲惨な物語があったのだが、とうとう、ポン菓子製造機は誕生する。ポーン菓子が、ポン菓子になっていた。(いわお・みつよ=ジャーナリスト)

★うたがわ・たいじ
=一日一〇万アクセスを記録した「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」のカリスマブロガー。伝説的コミックエッセイ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』は映画化され話題に。ほかコミックエッセイ『じりラブ』、小説『やせる石鹸』『花まみれの淑女たち』など。一九六六年生。