「市」に立つ 定期市の民俗誌
著 者:山本志乃
出版社:創元社
ISBN13:978-4-422-23039-3

やわらかな商取引

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

河合卓 / TRC仕入部
週刊読書人2020年10月9日号


「市(いち)」といえば、各地で開催されている「朝市」や、「焼物市」「古書市」など特定の品物を扱った市場が想い起こされる。共通するのは特定の地域と時間において開催される断続的な商業の場、或いは主に観光客を対象としたイベント、というイメージである。だが実際はどうだろうか。

 千葉県大多喜町の市は、月2回、一年を通して開催される。地元の住民が常連客で、生活必需品は一通り揃う出店となっている。店の配置は購買客の動線を予想して綿密に配置されており、個々の出店主にとっても臨時収入ではなく、家計の主流をなすほどの売上になっている。品揃えの工夫や新商品の開発にも余念がない。市に出店をしていた女性が記した記録は、市がその時限りの商取引の場ではないことを示している。

 高知県高知市の市は市役所に専門の部署があり、行政の支援がある大規模な市。そこで榊(さかき)と樒(しきび)を扱う店の聞き取りからは、供え物である2種の植物が店まで並ぶまでに、様々な業種が関わる経路を通じていることが明らかになる。商業に流通経路が存在するのは当然だが、その経路には様々な工夫や伝統が存在していることが、供え物という限定された用途の品物からでも分かってくる。

 宮城県古川市を含む仙北地方には互市(たがいち)と呼ばれる市がある。当地でいつからこの名称が使われ始めたのかは市史などの史料にも詳しい記述がなく、幾分謎を秘めた名称である。著者は史料の検討や市の出店者の聞き取りから、今日の市の実態と歴史を明らかにすると共に、名称の起源にも迫ってゆく。民俗学のジャンルではオーソドックスな手法なのだろうが、不明だったことが明らかになる、或いは違った観点が見えてくるのはジャンルに関わらず全ての学術の愉しみと言えるかもしれない。

 宮城県気仙沼市の朝市は2011年の震災により休止を余儀なくされる。しかし、市に直接かかわる人たちの奮闘に加えて、市民の方々、他地域の市の関係者、さらには他県からの援助や本来なら朝市と競合関係にあるナショナルチェーンの商業店舗のサポートなどで一か月後に復活する。市が他地域・他業種との交流による発展も十分に可能であることを示している実例といえるだろう。

 本書で述べられている市に共通するのは、活動の柔軟さである。手間と時間をかけて移動して商品を用意する。買う側も市の開かれてる場所に赴き、店主と会話をしつつ、買い物をしていく。ネット通販の効率性という面から見れば不効率な商売かもしれない。だが、上にも述べたように市は決して時代遅れでも伝統に固執した商売の仕方でもない。市の起源が江戸時代にまでさかのぼるものであっても、先人たちの伝統も踏まえつつ現代経済への目配りも欠かしていない。固定した店構えでは経営方針を変えるために施設などを変更するのは面倒だが、市の店はそもそも店舗がない商業形態である。その元々持っている柔軟さが、伝統と現在を並立させている商取引の場をなしているのではないだろうか。ネット通販の便利さは否定しないが、本書を読んだ後では、それは便利ではなく怠惰と表現すべきものではないかと思える。

 店舗のない商業には行商という形態もある。本書にも述べられているように行商人が市に出店する事例もあるので、行商と市は関係性があるのだが、これについては本書の著者による『行商列車』(創元社刊)をお勧めしたい。2020年3月に運行を停止するまで日本唯一の行商専用列車だった、近鉄の宇治山田―大阪上本町を結ぶ「鮮魚列車」のルポを軸に、列車と行商を調査研究した内容である。本書と併せて読まれることによって、今日の商業活動における「やわらかな商取引」の実態を更に良く知ることが出来るだろう。