水を縫う
著 者:寺地はるな
出版社:集英社
ISBN13:978-4-08-771712-9

「普通ってなに?」と問わずにすむ、肯定の世界なら。

図書館発!こんな本が面白い【書評提供:図書館流通センター(TRC)】

横川昌代 / TRC物流管理部
週刊読書人2020年10月9日号


 図書館に勤務し始めた頃のことである。「目の高さが合うよ。この棚」と、常連の高齢の女性に突然話しかけられたことがある。女性が指さしたのは、主に中高生向けに企画展示を行っている書架で、「面白い本、滅多にないけどさ」と、下町らしいきびきびした早口で容赦なく言い放ちながら、「あんた。年寄向けの棚じゃないとでも言いたいんだろうけどね」と勝手に人の表情を読んでくる。何と言葉を返そうか戸惑っていると、「若い人向けの本に、わたしの知りたいことが書いてあるときがある。ちょうどいいときがあるんだよ」と、思いがけない言葉が飛んできた。

 関西弁の音の響きがあたたかく、心地よいリズムで紡がれる本書を読み、あの時の書架の前のやりとりを久しぶりに思い出した。

 春から秋の10月まで光の季節を中心に、結婚式で姉が着るウェディングドレス問題を巡り揺れ動く家族を描いた本書は、世間一般のイメージする「普通」について、きっぱりと問い直す物語である。刺繍に強く惹かれる男子高校生の主人公と、ウェディングドレスを着ることに拒否反応を示す社会人の姉。離婚後二人の子どもを育てるために仕事優先で働く現実的思考の母親。主人公に裁縫を教えあたたかく見守りながらも、友人に囲まれた青春を願う祖母。父親の友人で縫製工場の経営者と、縫製工場に雇われている父親。それぞれが生活する中で、日常の中の「普通」に囚われている自分を知り、「普通」から逃れられず傷ついた過去の自分を見つけ出し、無意識下で他者に「普通」を押し付けている自分に気づく。油断すると取り込まれる「普通」という呪縛に、登場人物たちが気付き解き放たれていく様は、風を受けた水面がきらきらと反射するかのようだ。強く眩しい光の残像となり、胸を打つ。

 会社勤めと子育て含めた主婦業と、という二足の草鞋で小説を書き始めた著者の視点が冴えているのも、本書の特徴である。生活の中でふっと息苦しくなる瞬間を見逃さず、胸の痞えを丁寧にすくいあげながらも置き去りにはしない。失敗する自由は誰にでもあると受け止め、生活する今を肯定させる。登場人物たちを明日へと前に進ませる。

 正解、不正解と明確に分けられないものと向き合いたいとき、自分のまとまらない気持ちを物語が代わりに言い当ててくれることがある。それは小説の持つ素晴らしい力のひとつだと思うが、若く新しい小説を読むということは、目の前に広がる世界に対して鈍感にならないように、自分の世界を広げることだと気づかせてもくれる。

 本書を見つけた書店では、文芸書コーナーとヤングアダルトコーナーの双方に本書は置かれていた。誰にとってもたぶん「目の高さの合う棚」があり、手がかりを見つけたいと望む人はちゃんと自分にとって必要な物語を見つけてくれるはずだ。世代を超えて見つかるように、誰かにとっての「目の高さの合う棚」に並んでいてほしい。そう願いたくなった本である。