橋川文三 野戦攻城の思想
著 者:宮嶋繁明
出版社:弦書房
ISBN13:978-4-86329-211-6

橋川の思想的変遷、丹念に追う

著述家・研究者としての後半生の評伝

平野敬和 / 岩手大学教員・日本政治思想史
週刊読書人2020年10月9日号


 日本の戦後思想の読み直しが進むなかで、政治思想史家・橋川文三(一九二二~八三年)の著作もまた注目を集めている。『日本浪曼派批判序説』(一九六〇年)に始まる橋川の思想的作業は、吉本隆明、三島由紀夫といった「戦中派」知識人と時代感覚を共有しながらも、戦争体験論やナショナリズム論において独自の分析視角を示すものであった。近年、戦後の批判的知の枠組みを相互補完的に規定したマルクス主義と近代主義の有効性が問われるなかで、それらとは異なる立場をとった橋川の再評価が進んでいる。

 著者は前著『橋川文三 日本浪曼派の精神』(弦書房、二〇一四年)で、『日本浪曼派批判序説』刊行までの橋川の前半生を描いた。本書はその続篇で、橋川の後半生、すなわち著述家・研究者としての仕事全般を扱っている。これらの著作は橋川の初の評伝であり、橋川の思想が生まれた状況を、交友関係を含め、丁寧に描き出した労作である。

 著者は吉本隆明に倣い、橋川の立場を「野戦攻城」と見なすが、それは戦争への対し方と戦後の生き方に関わる課題を内包している。橋川は戦中のロマン派体験について、「私たちの感じとった日本ロマン派は、まさに「私たちは死なねばならぬ(ヴィア・ミュッセン・シュテルベン)!」という以外のものではなかった」(『日本浪曼派批判序説』)と述べた。橋川の思想的作業は自らの戦争体験の内在的分析を通じたその思想化という課題を追究するものであるがゆえに、「城に帰って休むということはもう一生ないだろうという気持ち」(座談会「すぎゆく時代の群像」一九五八年一一~一二月)に貫かれていたという。

 本書は全五章からなり、日本浪曼派批判に始まり、柳田国男論、超国家主義およびナショナリズムに関する研究、近代日本のアジア認識に関する研究、西郷隆盛論に至るまで、橋川の思想的変遷を丹念に追っている。ここでは、橋川が日本浪曼派から柳田国男や超国家主義へと研究対象を変える過程で、師である丸山眞男との思想的な訣別を試みたこと、また吉本隆明との邂逅とそれを経由しての竹内好への接近によって思想の展開を図ったことが重要な契機として示される。著者は鶴見俊輔に倣い、そこに橋川の「あたたかい思想」への希求を見ようとする。たとえばそれは、橋川が超国家主義のなかに「なんらかの形で、現実の国家を超越した価値を追求するという形態が含まれている」という問題を提起し、そこに「求道=革命的自我意識」(「昭和超国家主義の諸相」一九六四年)の存在を読み取ったことに現れているという。

 橋川の著作については、しばしば読みにくさが指摘される。いずれの著作も、問題提起としては優れていても、論理展開に難があることは確かである。それは、橋川の思想的作業が敗戦という「挫折」のなかから探究すべき課題を見出すものであり、そこに顕著なのは自己の精神的体験を原点として思想に接近するという方法であったことに関わっている。それに対して著者は、橋川が問題提起者としての役割を自認していたと述べ、解決されないまま放り出された問題が後世に引き受けられていることに可能性を見ようとする(中島岳志、杉田俊介など)。さらに終章では、橋川の教育者としての側面を弟子たちの業績とともに記しており、ここでの叙述は橋川に師事した著者ならではのものである。

 ただし、本書が橋川を相対的に捉えることに成功しているかという点については、疑問を抱かないわけではない。それは、ここで示される橋川の議論の有効性が、著者自身の言葉で語られていないことに関わっている。橋川の思想史的位置づけが他者の橋川論からの引用で固められている点に、物足りなさを感じる。本書は橋川の著述家・研究者としての仕事全般を扱うものであるだけに、著者ならではの分析視角を示すことが求められる。

 また、橋川の著作が丸山眞男への反措定であったことを強調するだけでは、丸山が政治学的分析として日本ファシズム、超国家主義を批判したことの有効性について十分に検討したとはいえない。著者は橋川や吉本の立場からする丸山批判に乗っているようだが、評伝においてもそれぞれのテクストへの配慮を怠らないというバランス感覚は必要であろう。(ひらの・ゆきかず=岩手大学教員・日本政治思想史)
 
★みやじま・しげあき
=編集プロダクション代表。明治大学政治経済学部卒業。学生時代、橋川文三に師事。著書に『三島由紀夫と橋川文三』など。一九五〇年生。