アメリカ憲法理論史 その基底にあるもの
著 者:ブルース・アッカマン
出版社:北大路書房
ISBN13:978-4-7628-3106-5

独創的な理論の中に共存する学問的誠実さと危うさ

正式な改正手続きを経ない憲法の変更は許されるか

阿川尚之 / 同志社大学特別客員教授・アメリカ憲法史
週刊読書人2020年10月16日号


 本書「アメリカ憲法理論史、その基底にあるもの」は、イェール大学ロースクール教授であるブルース・アッカマンが1991年に世に出したWe The People Volume 1: Foundationsの全訳である。アメリカ合衆国の憲法史の分析から、その発展段階を「通常政治期」と「憲法政治期」の2つに区別し、著者が「二元的民主政」と名づける両者の関係と補完の仕組みを示すこと。この仕組みを通じて主権(憲法制定権)を持つ「我ら人民(we the people)」が一定の条件を満たせば、憲法典が規定する正規の改正手続きを取らずとも、もう一つの高次法形成システムを用いて正当に改正ができること。それによって人民は民主主義を守り、進化させうること。本書はその証明を目指す論考である。
 しかしこう説明しても、この書評の読み手にはなんのことだかわからないと思う。そもそも本書は難しい。努力して読んでもすっと頭に入ってこない。

 難しい理由はいくつかありそうだ。一つには内容が極めて抽象的かつ理論的で、憲法や関連する政治哲学を相当勉強していないとついていけないと思う。しかも理論の展開がアメリカ憲法史のかなり詳細な知識を前提にしているとしか思えないので、余計わかりにくい。突然、 Marbury v. Madison事件判決、 Dred Scott v. Sandford事件判決、 Lochner v. New York事件判決と並べられても、それぞれの内容と意義を知らなければピンとこないだろう。

 もう一つには訳文の難解さがある。間違っているというわけではない。概ね正確かつ丁寧に訳されている。ただ、おそらくは却ってそのために、研究者はともかく一般の読者にはわかりにくくなっているように思う。

 ところでアッカマンの理論は、正式な改正手続きを経ない憲法の変更が許されるかという現実的な問いを提起している。無条件に許されると言っているわけではない。理論的には改正の意図を政府が国民に伝え、具体的な提案を行い、この提案を市民が十分な時間をかけ互いに議論を重ねて熟慮する。提案支持の最終意思を選挙の決定的な勝利を通じて表明する。それを受けて変更反対派が最高裁の憲法解釈変更により態度を転換し、提案を憲法の新しい内容として法典化する場合にのみ認められる。

 厳格にこれらの要件を満たしたかどうかはともかく、アッカマンはこうしたインフォーマルな改正がアメリカ史上実際になされた例を挙げる。そもそも憲法制定の際には、13のうち9つのステートによる批准で発効した新憲法は、独立革命後13の旧植民地が結んだ連合規約の規定(改正に全ステートの同意を要する)に違反し無効だとの主張があった。しかし制定者たちは憲法草案を国民に示し、是非についての広範な議論を展開し、権利章典追加の可能性を示しつつ(制定後に実現)、9つのステートでの批准達成によって制定を正当化した。

 同様に正式の改正手続き上問題があったもののその正統性が承認されたとされる修正第13条(奴隷制禁止)と修正第14条(平等保護条項など)の制定、ならびに最高裁の違憲判決を乗り越えて実現したニューディール法制(その後、圧倒的な国政選挙での勝利を経て正統性が確立した)も、正規の手続きは経ていないものの「我ら人民」が有する憲法制定権に基づく正当な改正だというのが、二元的民主政理論の論拠になっている。

 アッカマンの理論が日本で論じられる背景には、この考え方が日本国憲法無効論の主張に対抗する理論となりうる点もあるようだ。確かに新憲法制定は占領軍の押し付けであったように見える。しかしGHQ草案は民間の改正案を参考にしているし、政府の憲法案は戦後最初の総選挙での政権党の勝利を通じて国民の圧倒的な支持を受けた。発効から73年経って憲法は国民の間で定着している。これは主権者である国民の意志を十分に反映している証拠である。護憲派はそう説く。一理あると思う。

 同時にこの理論は本来中立的なものであるから、日本の憲法改正論者にとっても参考になりそうだ。正規の憲法改正が実現しない時に、一定の条件を満たし国民の納得を十分に得れば解釈改憲も許されるのではないか。

 しかしアッカマンは本書の日本語版への序文で、集団的自衛権の行使を一部認める閣議決定とそれに基づく安保法制の例を挙げ、安倍首相は「憲法違反の法律を暴力的な深夜の国会で成立させ」た、「今や平和条項を否定する憲法破壊的な先例を作ってしまった」と手厳しい。閣議決定と法制化だけでは彼の示す要件を満たしていないから正当でないというのなら、理論上一つの意見として尊重しよう。しかし国民の議論と熟慮の結果、安保法制が定着したらどうなのか。「憲法9条がいかなる侵略的な軍事行動も禁止している法制局に長年の平和条項解釈を変更するよう圧力をかけ」、「アジアにおける広範囲の軍事行動を可能にする法律を議会で強引に制定しようとした」と続けるのは予断に満ちていて、安倍政権の解釈改憲の試みには無条件で反対だとの印象を受ける。憲法の理論家による根拠の乏しい断定は、権威の誤謬につながりかねない。大きなお世話である。

 思うにアッカマンの政治的立ち位置は、ナイーブなまでに革新的、リベラルである。本書でも理論上市民の間の議論と熟慮を重んじるだけに保守派の主張にも公正であろうと努めているものの、「レーガン「革命」は失敗した憲法政治の企てであった」などと、保守派の憲法改革の試みには冷たい。気をつけて用いてはいるが、「我ら人民」、「民主政治」、「革命」、「変革」といった言葉に愛着があるようだ。彼の二元的民主政論は、一種の限定的な革命論であるとも解釈しうるだろう。

 そもそも人民が無制限な憲法制定権を有するという主張は、ある種の危険を孕んでいる。インフォーマルな憲法改正を正当化する条件をアッカマンは列挙するが、具体的には極めて曖昧である。条件を満たしたといったい誰が判定するのだろうか。「ルールが明確でなければ、実際には人民の多数者の同意がなくても、人民による改正があったと容易に人民の名前を僭称するものが現れうる」と、訳者の一人である阪口教授も自著『立憲主義と民主主義』で指摘している。

 一方、根っからのリベラルであるアッカマンが、アメリカの立憲主義と民主主義の伝統と歴史にこだわるのは、興味深い。「憲法の言語と営為が建国にまで起源をたどりうることは事実であ」り、「もしこれらの起源から自らを断絶するならば、アメリカ人は政治的な自己認識のための大切な手がかりを失うであろう」と述べている。本書は彼自身の理想の共和国アメリカを、そこで生きる自分自身を、憲法史を遡って探す旅であるのかもしれない。そこにはリベラルも保守も「アメリカ憲法(史)」という「共通言語」を用い依拠するというアメリカの特殊性が存在する。政治的立場が異なってもアメリカという物語についての対話が可能だという、アッカマンの学問的誠実さが表れているようにも感じる。

 様々な疑問が湧くものの、アッカマンの理論は独創的で興味がつきない。民主主義とは、憲法とは何か、そもそもwe the peopleは誰なのかなど、多くを考えさせる。(川岸令和・木下智史・阪口正二郎・谷澤正嗣監訳)(あがわ・なおゆき=同志社大学特別客員教授・アメリカ憲法史)

★ブルース・アッカマン
=イェール大学ロースクール教授。現代アメリカで最も影響力のある憲法・政治哲学者のひとり。共著書に『熟議の日』など。一九四三年生。